草地景観と森林

はじめに
 市報に美ヶ原の野草のためのササ刈りボランティアの募集を見つけた。野草の美しい草原が森林化していくことは各地で問題となっている。それは、高原の草地が放牧や草刈場に利用されなくなり、火入れなどが行われなくなったためであることは明らかである。放牧によって芝地ができ、草刈と火入れでススキ草原ができている景観は以前はどこにも散在して見られたものだろう。水田の土手にさえもこうした野草の草原景観であった。農家の各戸には農耕用の馬や牛が飼われており、化学肥料も使われていなかった。こうした時代は戦後の経済成長とともにたちまち失われていった。
 現在の草地景観はスキー場やゴルフ場、道路沿道に見られるが、高原の放牧地は畜産のための牛の放牧に維持されている所もあるが、人工草地とされて自然草地ではなくなっていたり、放棄されて森林化してしまった所が多いのであろう。自然公園や観光のために、草地景観を維持しようとしても、利益を伴わない景観維持は労力の負担ばかりで、困難を極めているのが実態であろう。自然草地と考えられる湿原でさえも、アシなどの除去がなされず、陸地化が加速して失われることも問題となっている。ボランティアは放牧や火入れに替わることはできず、放牧や火入れは、畜産や草地利用がなされない限り、持続しえないことは明らかである。
 山地の利用の放棄された草地や農地は森林化が進み、また、植林も行われてほとんど森林となっている。これと逆行してゴルフ場、スキー場が新たな山地利用として展開したのである。しかし、どこでもゴルフ場にされたわけではない。今日、観光利用の衰退からゴルフ場、スキー場の維持も困難となってきている。

草地景観の維持
 美ヶ原の場合も自然草地への放牧から、人工草地への放牧に転換している。人工草地の維持は過酷な自然条件と過放牧で困難であったようである。荒廃して石礫が目立ち、侵食が進行している状態を見受けられる。放牧が行われていない場所はカラマツ植林の生育も芳しくなく、一面にササの草原となり、かろうじてレンゲツツジの点在する景観が維持されている。このササの繁茂が高原の野草の維持を困難としているのであろう。しかし、野草も放牧と火入れの草原の生き残りであり、こうした手入れがなければ、消滅もやむを得ないことであろう。特に固定的な保護地を設けて、保護しようとしても植物の遷移は避けられない。ササだけでなく、帰化植物や下方からの植物の侵入もしょうじるであろう。今回は時間がなく行けないが、一度、ボランティアに参加して実態を確かめたい。

森林と草地の共存
 ササの繁茂は森林更新においても問題となるところである。伐採跡地は草本類や潅木が繁茂するが、基本的にはススキ草原であり、ササはあまり成立しない。ススキ草原は様々な野草とともに成立している。美ヶ原もススキ草原に一部、シバ地があるようにしてできた自然草地であったのであろう。ササ地にならないように、植林と下層植生の持続をはかる注意深い対処が必要であったのであろう。草地として維持できない場所を森林化させ、森林の更新のために伐採し、しばらく草地として利用する。あるいは、森林と混在化させた草地で維持管理を楽にし、また、ギャップによる森林生育と更新を図るようなことは考えらないだろうか。こうした混牧林は成功していないというが、どうであろうか。
 以前、イギリスでホテルの庭園の一角が小さな風景式庭園で芝地に樹木が点在していたが、周囲の樹林にウサギが住んでいて、時々出てきては草を食べており、草地が維持されていると理解した。見学した大規模な庭園では馬が草を食べていた。草地は放牧地と考えれば、野生動物や家畜の食糧であり、また、その維持も容易になされるのであろう。また、森林とも共存しているのである。

ムスコウ公園
 下記の図はグーグルアースによるドイツとポーランド国境にあるムスコウ公園の航空写真である。ムスコウ公園は以前、ピュクラー・ムスコウの作った風景式庭園として著名である。フォン・ザリッシュの森林美学にも頻繁に取り上げられている。森林美学にとって庭園は森林の対立物であり、人工美と自然美の相違を端的に示すものであった。ザリッシュはこうした庭園と風景美として森林を取り扱うことを、森林美学の対象ではないことを明言しながら、それ自体は肯定し、森林美を対比的に論じる上で利用している。庭園ないしは狩猟園としてのパークの美化を、森林美の発揮に関連付けている。
 森林が閉鎖的空間であるのに対して、風景式庭園や公園は開放的空間、自由空間である。草地と水面の広がりに樹木や樹林がアクセントとして散在している。草地や樹林の実用性が排除されて風景美を構成しているが、それぞれの要素は実用性に連動しており、美的な農園から農村風景への展開も実際、見られた。草地と樹林の構成も抽象化された理想的関係を表していると見ることができる。ザリッシュは庭園(ガーデン)から公園(パーク)へ、公園から森林への自然な移行を推奨していたと思われる。