風景の形態

はじめに
 ユークリッド幾何学に接したのは、本格的には中学になってからであるが、長方形、三角形の面積の出し方などは小学校などでも教えられたのであろうか。算数が好きだったからか、その面白さに、難問の挑戦は楽しいものだった。それが古代に完成し、新たに加えるものもないということは驚きだった。しかし、事物の平面的な形態が、抽象的な形態によって論理的な法則とされていることが、最も大きな知ることの喜びであり、何か力を身につけたように感じた。
 縄跳びの円弧、綱引きの直線、水滴の球、四足の椅子など形態の合理性に、外界の事物が新鮮に見えた。さらに、力学を中心とした物理学、数学の学習は科学的世界観を確信させるものだった。多くの人も事物の形態が幾何学的、物理学的、数学的な論理で説明できるものと信じているだろう。こうした点で数学者、物理学者に敬意を払わなければならない点で、込み入った方程式や宇宙の神秘にまで到達できない自分の限界を承知している。日常のありふれた事物の単純な形態の考察を興味として行うだけである。なぜ、様々な事物の形態があり、そこに、規則性があるのだろうか。

幾何学的形態
 直線はひもを両側から引っ張ることによってできる。引っ張る2点によって直線は紐の長さによって有限である。しかし、論理的には無限にまで延長させることができる。一方を固定するともう一方の無限は宇宙のかなたに伸びていくのであろうか。一点から伸びる方向も限定しないと放射線として球状に無限が広がる。限定された長さで放射した広がりの表面を辿ると円球が出来る。
 樹木の幹は重力に抗して垂直に伸び、またその断面は年輪を積み重ね円形となるのはなぜか。また、孤立した樹木の樹冠が球状を示すのはなぜか。密生した森林では隣接し、競合する樹冠の境界は直線となる。四方に林木が配列する人工林で密生した樹冠は円形ではなく、四角形となる。

数学的な量
 相似形は拡大、縮小であり、2点間は距離、長さとして測定される。事物をどれだけ集積するか、あるいは分割するかも数量として測定される。その数字から計算によって全体または部分の数量を示すことが出来る。

力学的な関係
 直線は力の作用として見出される。重力が垂直に作用し、光は直進する。速度を持つ物体は直進する。しかし、投げられた物体が放物線を描くのはなぜか。地球が球であることを知覚することは、今では人工衛星から簡単にできるが、昔は地球を一周してもとに戻ることを確認することだった。なぜ、地球は丸くなければならないのか。引力によって引き寄せられているから、あるいは、回転しているから。月が丸く、惑星が丸く、太陽や他の恒星もすべて丸いのはなぜなのか。また、地球が太陽の周りを円を描いて回転するのはなぜか。ニュートンは偉大な力学を完成させたものである。