ポロトコタン

はじめに
 北海道の先住民、いや、信州にもいたと言われるアイヌの人々の文化がこんなに身近に感じられたことは、かってなかった。縄文から弥生文化への移行は弥生人が大陸から渡来して、縄文人を征服したり、追い詰めて行ったことは、古代史の記述の中に垣間見られるが、狩猟採取民から農耕民への移行は、こうした民族的な対立の関係であったのだろうか。そして、明治にいたるまで、狩猟採取経済を持続させたアイヌの人々は、なぜ、農耕文化、和人へと同化しないできたのであろうか。それは、アイヌ文化が高度であり、アイヌの人々が非常に誇り高く、自分たちの文化を守ってきたことによるのだろう。しかし、明治の文明化した和人に抵抗し切れずに、北海道各地からもアイヌ社会が急速に姿を消して行った。

 白老のポロトコタンの地の博物館をわずかな時間訪ねて何がわかるかである。北海道で5年間生活したことがあるが、アイヌ人のことを考えたことも、存在を感じたこともほとんどなかった。北海道は明治になって内地の各地から移住し、未開の地が開かれたことばかりが、気づかれることであった。そんなにまで希薄になってしまったことの、アイヌの人々の艱難がどんなに大きかったかと胸を突く思いである。開拓の人々も並大抵ではなかっただろうが、・・・。