展望広場の条件

はじめに
 展望は高い山、或いは高い塔の上から、鳥瞰して見出せる。山の場合は下方が鳥瞰できる場所が地形に遮られて限られる。同時に森林によって遮られることが多く、展望を得るには塔が建てられることもある。都市内では建物で遮られて、高い建物、塔を作って展望するほかはない。高台で都市に面するような場所の建物では、建物の遮りがないだけ、展望が得られる。
 しかし、何のために展望する必要があるのだろうか。塔は平板に広がる都市のシンボルであり、中世から近世のヨーロッパの都市を飾るものであったが、教会などのある都市広場に面して作られた。それは鐘楼として下方の住民全体に時や緊急の事態を知らせたのであろう。見下ろすために上がることは、どれほどの比重があったのかは分からない。しかし、森の中の塔は領主が狩猟のための監視場所として設けたということである。また、林業が展開すると火災の監視のためにも必要となったのであろう。展望を楽しむことは従属的に生まれてきたのだろう。

展望と広場の関係
 展望を得ることを楽しむようになるのはいつの時期か、それは都市の地図を鳥瞰図として描いたことから分かることを論じた本(本の題名を忘れているが)を読んだことがある。鳥瞰図は山の上から見下ろす人々の姿とともに描かれたというのである。確かに、都市の市民とともに都市の全体像が描かれるには、社会的背景が作用しているのであろう。市民によって作られたものであるから、都市は愛すべき存在であり、その眺めは楽しいものであるはずであったろう。そして、展望の得られる山頂は市民の広場にもなったのであろう。
 上述の想像は、展望と広場の接点を考えるからである。山地の景観を下から楽しむには下に眺望の広場があることになるが、日本の嵐山にそれを見ることが出来るだろう。それをヨーロッパの都市の鳥瞰図と比較すると、山麓からの視点場から山腹の眺望に対して、山頂の視点場と対象としての都市の眺望と対比的である。視点場となる展望広場も、日欧の市民意識の相違が顕著である。特に、山地に対する意識に差があることを示しているように考えるがいかがであろう。
 日本における山は下から利用し、眺めるものであり、山頂は一種の聖域となるものであっただろう。為政者だけが、国見を行い、境界を見極めるために山上に至る。領域の定まるまでは、その境界は守備の範囲で、山上は砦を作り、敵の襲来の見張り場であったのだろう。それ故、山上が広場とはなりえなかったのではないか。山上から日の出を拝んでも、里を眺める楽しみには及ばなかったのではないか。

展望広場
 山上の展望広場は自動車道路による観光ルートの開発とともに生じたのであろう。そこでは、道路に附属した駐車場が必要である。しかし、広場のための駐車場なのか、駐車場に附属した広場なのかの比重の差が場所によって生じてくる。高速道路のサービスエリアにその差は顕著である。広場からの眺望には大きな差があることと関係するのであろうか。駐車場に広場が附属し、それといって眺望の開けない場所は、休息の場所に過ぎず、展望広場とは言えないだろう。
 山地の観光道路は、運転によって生じるシークエンス景観の楽しみがある。目に入る眺望を楽しむには速度を落とす必要がある。運転を楽しむには速度を上げて走り、それとともに、眺望は動的に変化する。そのような運転の楽しみに、途中で停車することは、矛盾している。運転者の休息の必要か、余程の印象的な景色が、停車を促すことになる。休息のためには停車する駐車場を見つけなくてはならない。休息のために下車したとき、休息の広場が求められる。印象的な景色に興味を惹かれて停車しようとする時、駐車場は停車の条件であり、下車して景色を見るための広場が必要となる。その広場でゆっくり過ごせば運転の休息にもなるであろう。ここに、道路―駐車場―広場―展望(印象的景色)の関連を考えて見る必要がある。しかし、道路と駐車場は、走行と停車、広場と展望は、場所と場所から離れた眺めには一定の対立点を有している。
 展望には、視野の広々した開放と遥かな奥行きと地域の全体像を見出す性格がある。これに対して広場は、周囲が閉鎖し、そこに、生じる環境と要素によって性格づけられる。展望と広場とは、開放と閉鎖、奥行きと環境、全体像と要素において性格を異にしているといえる。
道路と駐車場
駐車場から広場空間
広場空間からの展望