巨木の空間

はじめに
 小田原のI氏に、I氏の所有する伊那の森林の手入れを任せてもらいたいとお願いしたところ、快く承諾をしてくれた。さらにI氏から「神社は面積が70アールありシイの巨木が22本もあり昔から「椎の木森」として有名ですが手入れが全く行われず竹が侵入、荒れ放題になっていました。これを一人で伐採しようやく昔の姿にしたところです。古木が倒れ、後継木がほとんどないので、いまシイノミを拾い播種をしています。」そして、「いま家のそばの神社の椎の木の森の手入れと再生をしており、でかい石に「椎の木森」という文字を彫刻している最中で手が離せない状態です。これが完成して神社に据え付けが終われば」手伝いに来たいとのご返事を頂いた。巨木の直径は3mを超えるものもあるという。また、落ちてきた枝も太く、その枝から椎の実にかたどった大きな木鉢を作って、お祭りに使うことを考えているそうである。
 神社の巨木に注連縄を巻いているのをよく見かける。ある人が、大きな桂の木が伐られることを心配して注連縄をつけていたことを思い出す。欧米にはそのような自然崇拝の慣習はないであろうが、自然保護の父と言われるミュアは、ヨセミテ渓谷のセコイアの森の破壊に反対したことが自然保護運動のきっかけだったと言われている。とんでもない巨木に自然を愛する人は崇拝の念を抱くこと、巨木を霊的な存在とも見るのは古今東西に必然的ともいえるだろう。

巨木の空間
 森林は林冠によって構成されていると感じるのは林内である。ところが、巨木の森となると幹の物量感に圧倒される。森は樹木の集合であることを実感させられる。樹冠は幹からさしだされた太い枝によって支えられた樹木の毛髪であり、幹と枝がまるで巨人のように、小さな人間を圧倒する。特に、広葉樹の巨木は丸く張り出した枝と樹冠によって天空を支配するかのようである。一本の木だけで森の空間を作り出し、数本の群れとなった巨木は一つにつながって一本の樹木となったようである。細い幹の若い林は、林冠の活力はあるが、樹木の存在感は少ないといえる。
 しかし、巨木の森は、連続して広がることはできない。若く連続して広がる森林も、高齢になるにつれて、樹冠を広げた巨木で構成されるようになると、単木で分散し、森林の凹凸が大きくなるはずである。大きく広げた樹冠によって樹木の成長を持続することができ、巨木になっていくからである。優勢な木が劣勢な木を圧倒しなくては、樹冠を広げることができなくなる。互いに巨木が拮抗した時、その樹群は衰退する。数百年の森林を構成する樹木の盛衰によって生き残っているものが、巨木となっているのである。その盛衰を眺めた人はいないので、巨木の運命もまた、知る人はいないといえる。
 ところで、巨木の森はどれだけ残っているのだろう。各地に点在する神社にそうした巨木が見られる。しかし、連続した巨木の森林は限られている。巨木の存続は長い歴史の中の森林開発とともに失われることが多かったことは想像できることであろう。原生林は歴史的に開発され続けた結果、残り少ないのは当然である。しかし、それにしても、洗いざらい巨木や原生林は残しえなかったのである。
 このように、わずかに残された神聖なる巨木の森も今にも成長を続け、変化し続けていることを忘れてはならない。巨木の森に関心を持ち、I氏のように放置によって生じた障害を除く作業も必要であろう。