環境変動と景観破壊

はじめに
 小池先生から紅葉に関する論文を送っていただいた。紅葉の時期が遅れており、その要因に環境変動が作用していることを推定している。北海道の紅葉の美しさを体験したものとして、小池先生の指摘に環境変動の深刻さを感じるのである。紅葉は勿論、落葉広葉樹に主に生じるのであろうが、北海道ではその落葉広葉樹の存在は天然林に混交して存在し、森林伐採の進行と針葉樹人工林の拡大で多くの天然林が破壊されることが多かったであろう。知床や国立公園指定地で天然林保護が実行されるようになったが、それまでの天然林破壊が大きかったことを逆に示している。
 環境変動と自然保護とは小池論文において直接、問題にしているわけではないが、北海道以外を内地という言い方に従えば、近代化以前から開発の進んだ内地の農村地域では山地の利用が古くから行われ、過度の利用のために、禿山も多かったと言うことである。戦後の植林から現在、禿山も森林が生育し、見られなくなり、膨大な森林蓄積が生じたといえる。環境変動の要因は大気中の炭酸ガスの増大であり、その原因は何十億年も蓄積されていた化石燃料の使用によるものであるとされる。地球環境として森林の消失は続いているだろうが、日本のように森林蓄積が増大している場合もあり、また、森林の炭酸ガス吸収能力に期待も寄せられている。こうした地球環境以前に、ヨーロッパでは石炭の使用が森林破壊を減少させたと言われる。工業の進展が森林破壊を防止し、代換した化石燃料が今日の環境変動の原因になっていることは皮肉な歴史過程である。
 石油資源の活用が現在さらに拡大して、人工繊維から様々な日常製品として使用されるようになっており、木材の代換品も多く見られようになると、外材の輸入だけでなく、建築材料などに木材使用を減少させ、森林利用を減退させていることにもなっている。人工林、施業林が放置されることで、森林景観の再度の変化も生じるが、利用の減退自体が楽しむものとしての景観破壊といえる。
 環境変動は世界中に広まった工業文明進展の結果と言えるのだろうが、工業化の競争的進展には、資本主義経済の体制が条件として作用している。資本主義経済下で社会体制と人々の生活が条件づけられ、人々の生活が生産物の消費という経済循環の要因となっている。いかに環境変動が問題となっても、消費的文明生活のために工業文明を放棄することは困難だろう。そこで、環境変動の原因は一人一人の責任だというのである。紅葉の遅れに環境変動の危機を感じながら、環境変動の原因を除去するにはなすすべがないのであろうか。