ザーリッシュの森林景観

はじめに
 小池先生より「Waldaestetik」の著者のStoelb氏の発行しているカレンダーを送っていただいた。

この表紙の写真は11月、トウヒであろうか?保残木作業によって林床からトウヒの稚樹が生育しているのだろうか。下層に見られる紅葉した木はナラなのであろうか。霧がかった大気に保残されたトウヒの樹形が浮かび上がって美しい。小池先生はStoelb氏に直接会って教示を得たそうである。ザーリッシュの「Forstaesthetik」のForstはWaldに置き換わっていることによって施業林から天然林に森林美も変わってしまったとの印象を受けていた。
しかし、来年のカレンダーは施業林の写真がほとんどであり、ステルブ氏のWaldはForstを包含しているようである。ドイツの森林から百年前ザーリッシュが森林美を問題とした施業林が厳然と存続し続け、この施業林は、全く、日本の森林景観に似ていることに驚かされる。

保残林施業の景観

この写真はザーリッシュの著書の中にあり、アカマツ林の保残林であろうか。この同じ写真を1928年(昭和4年)発行の田村剛「森林風景計画」に保残木作業の例に掲載されている。この一文は「保残木林型に於いては、個々に普通は1町歩25本及び30本或いは群塊状に或いは帯状に普通は1畝から3反の群塊、時として更に大なることもあるが、所謂保残木を立てて、伐採木の2倍又は夫以上の年齢に残すものであるから、傘伐林型に比べると、一層変化に富み、且又皆伐林型の短所をいつ迄も露はすことがない。」とある。
 ザーリッシュは土地純収穫説によって皆伐作業による森林経営を行った。森林美学で論じる森林施業における功利(木材収穫)と美の調和も皆伐作業の森林にいかに美を見出し、皆伐作業を美的に配慮して実行するかが課題であった。また、功利のみによる画一的な皆伐作業には、風景や環境への配慮に欠けるものとしての社会的批判も起こっていた。ザーリッシュの美的な配慮は功利一辺倒の皆伐作業の様々な場面での改善であったといえる。更新と皆伐地は、保残木作業によって風景的に改善されている。この森林美を見出す主体がザーリッシュ自身を含む林業技術者であることを、ごく、最近、原稿を完成させた清水さんの労作で取り上げたことである。
皆伐作業も収穫後の更新地における皆伐地は破壊的であるが、やがて森林が生育して破壊的な場所を覆っていく、一時的な景観であり、場所により齢級の異なる森林は、林内の散策に大きな変化をもたらす楽しみもある。実に、ステルブ氏のカレンダーの写真にも施業林(皆伐作業とは分からないが)のこうした様々な風景が見いだされるのである。

アカマツ
 ザーリッシュは樹種とすれば、ことさらにマツを好んだようであり、マツの個々の個性的な樹形に他の針葉樹にはない特徴を見出していた。何か、日本人が持つマツへの共感と共通しているようで、面白い。このマツの特徴が発揮されるのは、群生した状態である。保残木作業はこのマツの群生した景観を作り出している。マツの森林更新には皆伐が必要であり、択伐作業には適さない樹種である。ザーリッシュの功利と美の調和にアカマツ林の皆伐作業を補う保残木作業は、目指した森林景観に合致していたと考えられる。

 切り開かれた中に小面積に残された林地、そこに生育したアカマツの群生を時々見かけることがある。その個々の樹形が家族のように組み合わさった様は見ていて楽しまれ、また、風景のポイントを作り出す。残存のアカマツの群生と保残木作業のマツの姿は似通っている。われわれは身近にザーリッシュの森林美を共感している。それは、森林美の多くの体験の断片なのであるが、その断片をつなぎ合わせて森林の全体像が浮かび上がってこないこともまた、清水さんの指摘する点であり、森林美の全体像はメーラーの恒続林に収斂したことを、今田先生が指摘し、清水さんがその意味を明らかにしたといえる。