老人と海

はじめに
 老人と海はヘンミングウェイの小説であるが、若い時に読んだだけである。老人の漁師は漁師が出来なくなれば、ただ、老人となるばかりである。老人となって海を眺めているだけの老人。老人にとってそれは海ではなく、山や川であっても、あるいは空であっても、都市であってもよいのかも知れない。あるいは、ダ・ヴィンチのように自分の描いた絵であっても。私の父は外に出るのが不自由になって空を眺めていた。海に対自している老人の姿から、ヘンミングウェイは何を言いたかったのだろう。いや、その老人は海を眺めて、何を考えるのだろうか。日々に変化するが、また、平穏な海へと回帰し、老人の平穏な生活が持続している。しかし、海と老人と、眺めの対象と眺める主体を入れ替えてみたらどうなるのであろうか。白鯨では対象と主体が入れ替わっている。老人には平穏な日常があり、眺めの対象が主となることはないのであろうか。私も父の老境に近づいて、老人の眺める対象が何であろうかと考える。