竜の棲む庭

はじめに
 竜は天に棲んで水を支配する。天龍寺竜安寺は、竜がいると考えると、天龍寺は竜が滝から天へと上がろうとしているかのように見える。また、竜安寺の石庭は竜が穏やかな水面に沈んで安らいでいるよう見える。
 平城京の発掘された庭の見学に行ったとき、ただ、曲水の宴のための施設として見ていたら、庭の専門家がその曲水の輪郭線は竜を象ったものとも考えられるということを聞いて、庭の見え方が変わったことを覚えている。竜は中国から由来するのであろうし、漢の時代に国家的宗教儀式とされた道教の考えと関係しているのかもしれない。現在に残る北京の天壇、地壇は、古代的な自然観の系譜を継ぐものであろうし、支配者となった皇帝の位置を示すものなのだろう。日本でも古代に漢との交流があり、道教も受け入れられていたとも言われるし、竜は奈良時代には日本に定着し、足利時代禅宗にまで、影響があったことは根深いものと考えられる。
 竜が庭に棲むのは、自然観の象徴となる竜を意識したからであろう。しかし、竜は単なる自然ではなく、自然の天帝から地上の支配者と認められた皇帝の象徴とも言えたのだろう。支配者が存在せず、戦乱で混乱した社会、そこに新たな支配者が期待された。戦乱の武将の中から、将軍となって戦乱を鎮め、社会を支配するものは、南北朝には足利尊氏であった。その相談役の立場が夢窓疎石であったことを考えると、天龍寺の竜は将軍への期待となるだろうか。後世の我々には、禅の修行から、鯉の滝登りが語られる。鯉が天に達するのは、禅宗の修行僧だけではなく、将軍の天に通じて社会の支配者となろうとする理念ではなかったのだろうかと想像する。
 金閣寺は将軍義満の作る庭であり、そこにも鯉の上る滝のあることは、禅宗のみのものとの考えを変えさせた。また、金閣寺の池の中の島は日本国を象っているという、竜の棲む庭には、自然観と社会の広がり、それを支配する権力の思念が感じられる。

竜の安らぐ庭
 竜安寺の石庭は、応仁の乱前後の時期に作られたように推測されている。銀閣寺を作った将軍義政の支配力は失われ、戦国時代の幕が切られていく。それは、社会基層の力の増大を意味して、古い支配が覆される時代でもあった。世の乱れの混乱は、支配から脱した自由さの現れと考えれば、下克上の開放感にもなっただろう。庭師によって作られた石庭が、天上の竜は地に伏して、その力を失い、新たな世の訪れまで憩いを楽しんでいるように見える。
 それにしても、天龍寺竜安寺西芳寺苔寺)と銀閣寺の関係は、謎である。方位などの関係などから、いつか、考えてみたいものである。竜安寺の石の配置から推理小説が書かれているように、荒唐無稽な話なのかもしれないので、深入りはできないが、面白いことではある。
新選日本史図表(第一学習社)より
 地図を掲げて見て、気づくことは、天龍寺金閣寺を結ぶ直線上に竜安寺がある。銀閣寺から金閣寺、また銀閣寺から西芳寺を結んで出来る角度の中間に天龍寺が位置していることである。少なくとも、東山山麓銀閣寺からの展望として、北山山麓金閣寺から西山山麓西芳寺の視角とその視角の中間に北山と西山を隔てる大堰川保津川桂川)と天龍寺は視野の内である。義政の趣味に適った視野ではないだろうか。天龍寺から金閣寺の直線上に竜安寺が位置していることはなにを意味するのか、には何かありそうではあるが、・・・4点の中心が竜安寺となっていることは面白い。しかし、こうした事実も推理小説の空想になりそうなので、これぐらいにしておこう。