都市の開空度と緑視率の関係

はじめに
 都市が高密となり、高層化するとともに、視覚的な環境がどのように、悪化するかという点で、開空度や緑視率が問題とされるようになった。狭小な街路を拡大しても、高層化した市街は、空が狭い点で、天空写真(魚眼レンズ)から開空度だされた。また、市街の拡大は緑地を減少させる点で、航空写真からの残存した緑地率が問題となった。しかし、視覚的な緑量は立体的な問題であることから、緑視率を問題とするようになった。緑視率は視野に占める緑量として出され、一箇所でも視線の方向によって変化するので、視線を水平な一方向に固定して測定する必要がある。街路を視点とすると視野の構成は透視図法となり、緑要素だけでなく、路面、人工要素と天空によって構成されることになる。街路の水平視線の視野において開空度と天空要素とは連続してくる。当初の課題から、開空度が大きいほど、過密の弊害を少なく、緑視率は多いほど開発が進行しない良い環境が保たれるということになる。広さの自由さは緑視率の多さによって抑制されるといえるが、人工要素による抑制が問題であった。とすれば、人工要素に対する緑視率と人工要素に対する開空率を対比して問題を考える必要がある。
 都市の街路も直線か曲線かによって正面の構成の相違があり、街路の広さによって開空率は広がることになる。人工要素(人工率)は建物である場合、その連続と高さが開空率に影響する。こうした場所の条件を考えることも必要だろう。街路に対して広場的な場所では全周囲に視線が向けられる眺望とその囲繞された空間が出現する。こうした広場的空間も区別してとらえる必要がある。

適度な開空率と緑視率による都市の快適性
 物理的な空間が人間に受け入れらるものである時に、快適性が生じると考えると、逆に受け入れられない空間環境は不快なものと言えよう。単なる視野の開空率と緑視率が問題ではなく、それらが環境の快適性を生み出す効果をどのように持っているかが重要である。しかし、それは固定的にどこにも通用する固定的な効果ではなく、場所や興ってくる状況によって変化するものであろう。
 東京の物理的な空間によって圧倒される不快さと松本の風が吹き抜ける町の快さの差がどのように生じるのか。開空率と緑視率の相違だけでは論じられないかもしれないが、直感的なこの都市の格差に影響があることは考えてよいだろう。