時代を経た庭園の鑑賞

はじめに
 時代を経た庭園は様々な人から論じられている。歴史家、造園家、建築家、哲学者、宗教家、紀行作家、随筆作家などさまざまである。庭園の所有者、管理技術者は多くを語らないが、論者に加わることもあるかもしれない。現在は直接利用されず、文化財としてほ保護され、観覧のために利用されている名園は、特にこうした論者に取り上げられる機会が多いことだろう。庭園を専門とする造園家以上に、これだけ多くの立場から庭園が取り上げられるには、何か理由があるのだろう。ただの拝観者(自分のことであるが)は、こうした人の記述した知識を抱えて庭園を鑑賞しながらも、現実の庭園を目にして違和感を生じることが多い。拝観料の額や和尚さんとのあいさつや暑い歩行からの休息など、経験の世俗さに高尚な知識が遊離してしまうせいなのかと、しばらく、休んで、庭園に向き合って、意味を感じようとするのである。このような庭園鑑賞を京都のいくつかの庭園で繰り返したことである。
 京都の歴史を背景にこれらの庭園が創造され、今日まで持続している上で、庭園自体の姿が過ぎた時代とともに変貌し、庭園の当初の意味さえも不明にしているだろうから、1〜2時間の庭園鑑賞で、深く、様々な意味がわかるわけもない。現実的な世俗的な観察に終始してしまうのである。しかし、考えて見れば、庭園は生活の場であり、鑑賞者にはその生活の視点がないのである。そこで、どんな庭園を見ているのかを予め、現実的な庭園の状況を判断して、鑑賞の庭園を選択する必要があるのだろう。拝観することはできても、庭園管理者によって現実的な状況は様々である。

消失した庭園 大沢の池 神仙苑
 平安京が開かれるに当たって自然環境の改造がなされ、庭園は自然の池沼や泉が屋敷内に囲われて成立したといわれる。内裏の前面にあった神仙苑も自然的な条件を生かして庭園とされたが、二条城によって、その庭の大きな面積が失われた。大沢の池は、別業が営まれたが、現在は溜池に戻ってしまった。
 
保護、復元された庭園 金閣寺 銀閣
 金閣寺銀閣寺は今は、寺院であるが、もともとは将軍が造営したものであり、金閣寺のもともとの庭園は失われ、部分的に残された以前の姿が保存されている。銀閣寺は寺院であり、かっての遺構が部分的に保存されながら、寺院の庭園としての機能が発揮されている。
 
公共的に使われている庭園
 平安神宮は遷都の記念事業に作られた明治の造園であるが、公的にも使われ、神社として維持されている。

生活に使われている寺院庭園 
 清水寺成就院は拝観料で見学できる庭園ではない。拝観願いを提出して見学させていただいたことがあるが、寺院として使用されているので、拝観は迷惑となることがわかった。詩仙堂も寺院として使用されているが、多くの拝観者を受け入れている。大徳寺大仙院なども同様であろう。

 以上の様な庭園の管理者の現状から受け入れられ方に相違があり、庭園自体もその管理の仕方で長年の内に様子を変えている。拝観者は庭園の現実に接して、作られた当初の庭園の姿を窺おうとするのだが、定かには見えてこない。かっての、一部か、庭園を条件づけている自然などから現状の庭園を変形させて想像するだけなのだろう。まして、庭園の核心となる創造の意図は不確実な推定となってしまう。
 
  
旅館など