森林の中の森のイメージ

はじめに
 森林の中に入って行った時、そこがどんな森なのかが経験されているはずであるが、ではどんな森かを説明することは難しい。森林というとき、どこにあり、どんな状態の森かを説明することは簡単であり、その森林に接近して見えてくるとき、簡単な説明が確かであること確認できる。しかし、その森の中に入ってしまうと、林内の場所によって状態が相違して難しく、外から認識した簡単な森の理解を補完する材料を拾うだけであるが、それは部分的事実である。全体のイメージではないだろう。また、人によって、最初の認識が相違し、それによって注目する事実が相違してくる点で、人による差異が大きくなり、共通のイメージは失われていくのだろう。この差異は、森の中で一緒にいる人との話し合いによって共感に変わってくることを、経験しないだろうか。一人で森を感じるのもよいが、誰かと一緒に入って共感して感じる森は、人間同士の交流と共に、森林の全体的なイメージに接近する経験ではないだろうか。
 森から喚起される経験から、意識の内面にある経験が連想的に浮かび上がる。言葉となるのは連想によって生じた過去の経験や知識ではないだろうか。その場の経験は、ああ、おおとか、すばらしいとか、美しいとかの感嘆詞や、印象であり、記述的な言葉とはならないのではないだろうか。なぜ、そのような感嘆の言葉を生じさせたのか、を説明する談となって、言葉が必要となる。