村落共同体と入会地・コモンズ

はじめに
 コモンズという言葉が流行した時期があるが、今はほとんど言われることがない。ウィッキペディアではコモンズは入会または入会地を指している。グレアム・マーフィ:「ナショナル・トラストの誕生」では、ナショナル・トラストを発足させた3人の内の一人、ロバート・ハンターは入会地保存協会の弁護士として19世紀後半のイギリスの囲い込みに対する反対運動に活躍した人とされている。ウィッキペディアで、コモンズが日本の入会地と相違する点は、日本の入会地が村落共同体ごとの独占的な利用の場であったのに対して、コモンズは村落共同体の農民の利用が主であったにしても誰でも立ち入れる場であったということである。ロバート・ハンターの入会地保存協会が農民の権利を主張しながら、一般の支持を得たのは、公衆の自由な立ち入りができる、一種の公有地を確保できたことによったのであろう。コモンズの言葉の流行も、こうした自由な共有の概念を強調することから起こったのであろうが、日本の実体と大きく齟齬があったところに、流行に終わってしまったのであろう。
 日本の入会地は明治の土地所有の制度によって所有権の不明確な入会地が個人所有地や官有地とされたり、入会地を分割した個人有地として細分したり、村落共有地として財産区を設定するなどして、一般公衆の問題とされることはなかった。また、領主層は武士階級に分離されて、イギリスのような囲い込みも生じなかった。しかし、山遊びやハイキングなどに利用された山地は、もとはこうした入会地が多く、村落社会の寛大さで、受け入れられていたと考えられる。
 戦後のエネルギー転換までは、農地と山野とは不可欠に結びついて利用され、村落の共同を強固なものとして維持させたと考えられる。しかし、戦後の開拓もまた、こうした共有地が多く利用され、村落の共同利用の減退があったといえる。高度経済成長と石油エネルギーへの転換は同時的生じ、山林資源の無用化と山村の人口流出を進行させていくと、山林の林業成立への期待からの植林事業が進展し、その期待も外材導入による国産材の利用低迷で消失すると、植林されかった所だけでなく、植林された山林も放置されていくことになった。

山林資源の利用育成による農山村の活性化
 山村は高度経済成長期から過疎問題と言われる人口流出と林業の停滞による地域衰退が問題となった。平地農村では基盤整備によって機械化が進められたが、専業農家は減少し、農業労働人口は減少し、減反政策もあって、遊休地を増大させた。放置された森林と遊休地の目立つ農山村は、いかにも荒廃した風景を際立たせ、住民の意欲まで低下させていったといえる。
 大分県一村一品運動は、こうした農山村の活性化への取り組みとして生まれ、産業発展には及ばないが、意欲増進として効果を上げたといえる。活性化が地域共同で行われることで、住民の連帯感が意欲増進の原因でもあったといえる。しかし、特産的な作物の共同による育成も、農業生産の一部であり、以前の共同組織による農地、林地、水利施設、文化活動が関連した関係が復活するものでもなかっただろう。
 自然環境を保全する山林資源は、地域住民の利用を越えて、広域の公衆による休養利用、良好な地域環境育成への期待がある。農山村の地域活性化は、政策的にはコメの自由化の見返りとして行われた面がある。農産物生産には輸入自由化と増大が打撃となることの見返りが、国産食料の増大の地域活性化とは矛盾することであった。こうした限界の中で、自給用作物を直売場で販売することが、周辺住民に受け入れられることは、地域内経済の促進に役立つ活性化といえるであろう。しかし、地域の内部循環的な関係を生み出すためには、放置されてきた山林資源を活用することの重要性を誰もが認めるであろう。共同による山林資源の活用は、地域環境の育成に関連し、広域住民に影響を生じ、交流関係を拡大する上で、重要であろう。