ノイバラの香り

はじめに
 バラが沢山売り出されて、多くの人が自分の庭を飾るために満足げに買っていく。様々な種類、大小の栽培されたバラはあまりにも多くの種類があり、価格も様々である。イギリスの由緒正しいバラから、ただ、華やかなバラまであるので、高価なものはそれだけ値打ちがあるのであろう。西宮に引っ越した時、近くに戦前開発された小奇麗な中流階級の住宅地があって、フェンス越にバラばかりの庭が見られる庭があって、子供ながら憧れでもあった。しかし、食糧難で社宅の庭を畑としていた生活からは、手の届かない豊かな趣味とも思えた。親父は2,3本のバラを買ってきて畑の片隅に植えたが、見栄えも悪く、手入れが悪かったのか花が咲いたのを覚えていない。
 子供時代に遊んだ山は、裸地が多く、潅木が疎らに生えている程度で藪というものも無いぐらいであった。野山は自由に駆け巡ることができた。温まった土の匂いとともに榊の花のにおい、若いマツの新芽の匂い、芳しいツツジの匂いは、野山の季節の空気だった。青年の頃から山には藪が目立ってきた。山を歩くと藪の棘に悩まされ、皮膚が傷ついた。それでも、藪の中から、キイチゴの実をつまみ、ヤマブドウマタタビの実を捜し、春の山菜のタラの芽は藪の間に見つけるので、棘に傷つきながらも、藪は豊かさが感じられた。ノイバラは何の役にも立たないで、棘ばかりで人を傷つけだけなので、藪に分け入ろうとすれば、最大の防波堤となって立ちふさがる。

ノイバラの季節
 バラとともに山地ではノイバラの花の季節である。まだ、棘のある茎を伸ばすことも無く、静かに花を咲かせ、日のあたる場所では白い花房で際立っているのに、5弁の花びらはいかにも清楚で、集まった房はまわりに、その芳しい匂いを放つためであるかのようだ。こんなノイバラが昨年の夏には凶暴な難敵で切り開いてしまったことを思えば、もっと、繁らせておいてやればと思うのである。野のバラはノイバラがバラの王者ではないだろうか。どんなバラもその自然の美と香りに適わない。
 バラの系統は世界中のバラが集められ、それらの品質が精選された改良によって人為的に生み出されたものであり、日本のノイバラも栽培されるバラの系統にもなっているそうである。ノイバラは野にあって原産のままの姿を示しており、その良さを見出した時のそのままの状態を示してるのだろう。それぞれの人が、ノイバラの良さをその多様さとともに自然に発見することが出来る。