木材生産の手作業と機械の力

はじめに
 製材工場を見て改めて機械の力を再認識した。北斎の富岳百景の一画面に大木の丸太を鋸でひいている職人の姿が描かれている。どれほどの時間がかかるのかと感心する。木を切り倒すには斧と鋸であったのはごく近年まで古代からの技術であり、石器の原始時代にも遡ることだろう。製材工場の帯鋸も手鋸と変わらない歯がついており、目立ては人手で行われているようである。その帯鋸が動力と結びつき、巨大な装置になっているところに、人手でできないような製材と時間の短縮ができたといえる。そして、コンピューター制御の助けで人手ばかりか、操作の判断も激減し、工場で働く人々もまばらである。
製材機も巨大な鋸
帯鋸も目立てが必要

 あちこちの森林の伐採現場から集積された木材の堆積がみられ、様々な樹種、大小、長短の原木が区分けされた堆積となっている。その堆積は製材工場に持ち込んだ人の所有の区分けでもある。丸太は皮むきされ、製材に運ばれる。単純な工程といえる。注文に応じてか、作業する人々も比較的のんびりと作業を進めているようである。しかし、動いている機械は、確実に丸太を四角い材や板に挽いていくようである。丸太の堆積からこうした木材が乾燥されるよう倉庫の中に積まれている。
 建築現場では大工が小さな加工に鋸を使うこともあり、金槌で釘を打ち込で木をとめることもある。電気鋸や打ち込み機も使われるが、旧来の手作業が残存し、人の居住空間に応じたきめ細かさを出すことが出来る。自然の森の木が製材工場で木材となり、人の住む住宅に使われる。この過程に生じる労働に手作業と機械作業がどのように編成されているのであろうか。

ガリバー旅行記
 ガリバー旅行記には、巨人の国と小人の国が描かれている。人間のスケールを基準した世界が工業文明によって変革されようとしていることを暗喩しているのだと誰かが書いていたような気がする。小人の国では人間は巨大で小人を踏み潰しそうであり、巨人の国では人間は巨人に踏み潰されそうになる。機械は人間の力を巨大化させるものであろう。巨大化した力で大量の生産物を生み出すことができる。
 しかし、それが人間に還元されなければ、人間はその巨大な力に踏み潰されてしまう。人間は機械を使うとともに、機械と戦わなくてはならなくなる。チャップリンのライムライトは機械に支配され、機械の一部になったような人間の姿を描いている。精巧な時計の歯車は子供の目を魅了する。工場の高速の巨大な歯車は恐怖を感じさせる。

樹木の伐採作業
 森林の一部を伐採し、木材を収穫することは、収穫跡地に更新木が生育することで、森林持続にも役立つ。しかし、木材収穫の面積が拡大すると森林の持続を困難にする。そこで、生長量に応じた収穫が森林持続の条件である。これは一般論であるが、木材として役立ち、森林更新に役立つ伐採木の選定は、現場での習熟が必要といえる。人間にとっては、樹木は巨大であり、林内の更新状態は微小の世界である。
 斧や鋸の手作業は巨大な高木から微小な林床まで注意を払って、選木し伐採するものであったろう。この伐採作業をチェーンソーの導入で高速化することができた。また、伐採木の引き出し、運搬に林道と索道、トラックターなどで容易となった。しかし、チェーンソー使用の危険性や振動障害の問題、林道建設による林地破壊などの問題が生じ、自然的制限の克服とともに、機械の効率的使用の過剰な伐採も問題となった。さらなる機械技術の導入には、機械化の進展による問題点がどのように克服されたかを学ぶ必要がある。

製材作業
 製材加工作業の機械化は、高度に進んでいるようであり、より以上の高度化の余地もないのではないだろうか。既存の製材施設を効率的に稼動させる流通関係が問題であるのだろう。この流通関係は、原木の導入から、建設資材への加工によって、建設資材の需要に対応する過程である。

木材の流通関係
 木材の需要に至る森林からの木材生産の一貫した関係の重要性の主張とその具体化は、清水裕子氏の勧めているところである。住宅産業の動向と密接し、また、木材供給の源となる森林所有者、生産者に繋がる糸口にもなっていることを清水氏は主張しており、大いに賛同し、その展開を期待している。