森林療法の専門性

はじめに
 森林技術NO.819(2010.6)の論壇に、U氏が「森林療法とは何か」の表題で論説している。森林療法の対象は健常者 罹病者 障害者であり、その目的はリハビリテーション、風致作用の享受、心理的な癒し 作業療法 環境形成であり、その森林の場所、時間は、多様な地形、面積、散策路を持つ、針葉樹、広葉樹、混交林の不定期あるいは季節によるもので、レクリエーション、作業、休養、カウンセリング活動におけるリハビリテーション、保健休養、心理的効果、障害者療育の効果が得られるものとしている。
 一方、放置され病んだ森林を手入れすることは、生命体の集合である森林を健康とし、その手入れの作業は人間に生きる力を感じさせることによって健康とするとして、森林療養の大きな目標としている。最後に、森林療法は揺籃期であり、多くの問題が解決されていない点で、自分は専門性の立場から取り組みたいと述べている。
 論説の最後の指摘から、森林療法にはわからないことが多くあり、明らかにするには様々な専門の立場が関与している点で、U氏は専門(林学)の立場から取り組むことを明言しているといえる。言葉尻をつかまえるようであるが、林学の立場があるならば、林学の立場で森林療法がどのように論じられかが、最初に述べられるべきではなかっただろうか。そして、これは、最後まで述べられていない。

林学の立場
 林学を林業、森林利用への応用学であることを前提とすれば、森林、施業林に関する基礎科学を、森林、林業の現状への問題解決と技術的開発に応用するものといえるだろう。林業の衰退による森林放置とともに、森林の多目的機能が重視される現状において、森林療法が多目的機能の一部として取り上げられてもよかったであろう。
 しかし、森林を治療の場として利用するのは、医療の立場であるといえる。医療は医薬だけでなく、身体動作と環境条件、社会的条件の改善も含まれる点で、環境条件による治療効果が問題となるのも当然といえるだろう。しかし、これは医学の問題である。林学は医学において森林環境の効果が問題とされた場合にのみ、対応することであると考える。医療の技術の未熟さを補う意味で、転地療養として森林の環境効果が期待されたことがあった。
 社会の一般人の多くは健康であり、社会的要求の多くは、一般人の健康で健全な生活から生まれてくる。その生活の持続として休養、レクリエーションの活動があり、森林は活動の場として利用されることがある。また、休養やレクリエーションが楽しみや趣味に結合している場合も多い。都市住民の休養やレクリエーションには、都市公園が、一般の風景や自然利用には、自然公園が設定されて要求に応えている。森林における休養、レクリエーション、風景、自然体験の要求によって、多目的機能の一部を構成する。この森林機能の増進は、「森林風致」として取り上げられてきた。

森林浴と森林療法
 森林浴という言葉は、国有林の休養林制度による森林利用として作り出されてきた。温泉や海水浴に保養効果が期待されたように、森林の保養効果を想起させる森林浴が森林セラピーの広義な解釈として、再現して使われることは、間違いではないといえるかもしれない。しかし、先行する言葉の順から言えば、森林レクリエーションあるいは保養の一部としての森林浴、森林浴の一部としての森林セラピーとなるのではないだろうか。U氏は森林セラピーの言葉が森林浴へ広義に包含されて、森林療法を持続させる点で、森林浴との区別を必要としたのではないだろうか。
 U氏は森林浴を「森林を楽しみながら散策する」こととしており、広義な森林セラピーとはせず、逆に、「森林療法には森林浴も含まれる」としている。そして、森林療法たる由縁は、治療、健康増進、生活習慣病予防、気分転換、心身のリハビリテーションを目的としている点であると音楽療法と音楽、園芸療法と園芸との例を挙げている。確かに音楽や園芸を手段として治療が目的であるか、音楽や園芸の楽しみが目的であるかは相違している。しかし、治療効果に健康増進、気分転換などが含まれている点では、目的による相違は不明瞭なのではないだろうか。治療を目的として森林散策すれば、森林療法で、楽しみを目的の森林散策は森林浴と区別できるだろうか。

地域活性化における森林療法
 林学にとって、林業の担い手と林業を産業基盤とする山村の存続は重要な課題である。林業を基盤とした山村がそれだけでは、経済的に成立できない場合に森林の観光利用との両立は、山村存続の条件であった。しかし、現在の山村は、林業の衰退と観光利用の低迷で、地域活性化に打つ手を見出せない現状がある。とくに、観光開発を大々的に進めた地域が深刻である。森林セラピーによる利用客の増大を低迷する観光地域で期待するのは必然的な状態といえるかもしれない。
 U氏が指摘している看板ばかりで、実体は地域活性化あるいは新たな観光開発であることも多いこともうなづける。しかし、これは、森林療法を必要とする医療の面から受け入れ区域の整備が行われるのではなく、また、その、経営的条件も明示されなかった点で、止むを得ないことではなかったのではないだろうか。地域の側の甘さもあるが、それを進めた側にも責任があるのではないだろうか。

森林療法の規格
 森林療法の方法は、治療する症状によって相違するのは当然であるだろう。森林環境でどのように行動することが、治療効果を上げる方法として示され、その方法がどれほどの効果が上げうるかが測定されて始めてその方法の成否が確定する。U氏はまだ多くの治療例が上げられていないことで、森林療法は揺籃期の段階として、方法の規格は未確立としている。方法が未確立なままに、森林療法の治療が発足したところにも、問題があるといえる。
 現在、森林療法が実施されている活動は3分類されるとし、福祉・医療・心理分野、地域住民の健康増進、森林保養地が上げられている。しかし、上記の治療効果が明らかとなるのは、医学の介在する福祉・医療・心理分野に限られるのではないだろうか。地域住民の健康増進、森林保養地などは、レクリエーションや休養の効果であり、また、住民や保養客の自主的活動が主であって、森林療法の範疇に入れることはおかしいのではないか。
 福祉・医療・心理分野において、森林療法は森林療法プログラムが設定されるとしているが、人によって適用されるプログラムは相違するとしている。では、どんな人には、どんなプログラムが準備さうるかを示す必要があるだろう。

森林療法の成立可能性
 森林環境は治療効果に決定的な要因とはいえない事を、林業従事者や森林保養地の住人を例として述べている。しかし、職業や居住地の条件は、それを選択した意志が第一にあり、保健効果や治療効果は別の要因があるのではないだろうか。森林の環境要因と保健休養効果の関連性を明らかにしなくてはならないとしているが、治療を要する症例と森林の治療効果に限定して取り組まなくては、難しいのではないだろうか。
 次に、森林療法が多義にわたる点で、森林・林業関係者、医療などの様々な専門のコラボレーションを必要とするとしている。しかし、どの分野が森林療法の中核であるのだろう。そして、U氏自身は、自分の専門性から取り組んでいこうする。しかし、その専門性は何であろうか。森林療法の活動は実際に展開し、U氏はその指導者の一人として活動している点で、私の知りえない多くの知見と豊富な経験を有しているにちがいないが、立論の精緻さを期待したい。