園芸と造園

はじめに
 日本における造園と園芸の乖離は明治からあったようである。あるいは江戸時代から存在していたのであろうか。日本庭園には、ほとんど園芸の植物は使われておらず、西洋庭園が洋式生活とともに、導入され、西洋の園芸植物も導入されてきた。西洋庭園では園芸植物は花壇で主役となる。ところが、日本では西洋種の園芸植物を庭の千草としてしまった。しかし、今は庭に花壇はあっても、庭の千草は見当たらない。庭の千草に替わってハーブが生育し、芝生に適合しているのだろう。
 園芸は花卉栽培として一つの産業であり、花屋さんと結合している。花屋さんから買われる花は、生け花であり、西洋の花束である。日本の生け花は床の間の飾りである。日本の園芸は江戸時代に隆盛したといわれるが、多くは鉢物であったのだろう。道路端に面して並べられた鉢物には、和風では園芸種から盆栽まであり、西洋の園芸種の鉢が加わった。こうした鉢物は室内装飾と結びつくこともある。生け花や花束、鉢物は、造園とは別個のものである。
 園芸と造園の接点はどこにあるのだろうか。私の小さな頃の体験では、祖父が戦後の食料自給のために庭を菜園化した中の彩りに植えていた草花を、祖母は仏前の花として剪定してしまって、祖父が嘆いていたことである。また、逆に祖父がカボチャを棚作りにしていたので、夏の日陰にも役立ったことである。バラつくりは、園芸の領域であるが、バラ園の造成は庭つくりとなる。バラを単体として育成するのが園芸で、そのバラを材料としてバラ園を作るのは造園ということであろうか。バラの栽培家にはその区別は無いのかもしれない。

園芸種による造園
 都市の高密化とともに増大した集合住宅のマンション暮しには、庭を手にすることができない。ベランダに鉢を並べる人が多くなり、インエリアにも鉢が置かれるだろう。近代になって、住宅における庭作りを戸外室と位置づけがされたが、ベランダはまさに戸外室であり、インテリアに鉢を多く持ち込めば、室内の庭園化といえるのかもしれない。戸建て住宅では庭園が持てるが、その場合に、ベランダはテラスにあたるのだろう。テラスは室内から戸外への出口であり、半室内ともいえるだろう。そうした場所を温室として冬などの植物栽培の場とするコンザ−バトリーがイギリスの庭園に作られ、居間としても利用され、多彩な園芸植物の戸外室となる。

造園にとっての園芸種
 以上を考えれば、園芸種の利用は造園に不可欠な材料といえる。しかし、園芸種だけの花壇が造園とはいえない。戸外室となる造園の目的には、自然との触れ合いの場であることである。園芸種には野趣よりも華美を求める傾向がある。華美な園芸種は自然の野趣を求める造園に適合しないことが多い。戸外の広がりを知覚する風景に花壇は、人工物そのものであり、風景を損なう場合がある。風景の点景となるような園芸種の植栽には、相当の注意が必要だろう。庭園はそんな風景を一端を生活の場に再現しようとするものであるから、園芸種の使い方には細心の注意を要する。園芸種の原産の場所の環境などを考えて使う必要があるということだろう。
 ところで、庭木は園芸種であろうか。園芸種の庭木もある。椿や楓、桜、竹など様々な園芸種の造園で使われる庭木がある。そうした園芸種を組み合わせた造園もありうることである。果樹は園芸的な技術によるものであり、柿、梅、栗、葡萄など、庭で楽しむことができるが、これは農園の風景の一端であるのだろうか。盆栽は園芸の極致だろう。盆栽は鉢の中に風景を凝縮して示す点で、庭園と通じる点があり、盆栽のように手入れされた庭木もある。こうしていくと、園芸にとって造園との境界はないようである。園芸家が生産的目的から離れた時、園芸種による造園は自分たちの領域と考えるかもしれない。しかし、造園家が戸外室を作りろうとする限り、戸外の自然と戸内の生活との関係を意識するだろう。そのとき、園芸種は造園の材料の一つであり、注意深く、選択されなくてはならないだろう。