生駒山系の緑化と景観変化

はじめに
 1967年、生駒山系緑化対策の研究が進められ、取り組んでいた。先日、S氏が訪れ、現在の状況の一端を話してくれた。四十数年の内に、生駒山系の森林はすっかり変わったようである。s氏は大阪側から生駒山系が花屏風のように見えることがあるという。かってのアカマツ林の禿山から森林遷移によって、コナラを主とした森林に変わり、そこに、サクラが点在して花屏風となるのだという。
 かっての報告書に掲載したスケッチであるが、生駒山から数キロ隔てて遠景からの山系の景観が屏風のように見える位置であった。しかし、当時は大阪平野の低湿地を埋め立てるために、山地から土砂の採取が行われ、その土取りの跡が遠方からも見えることが景観問題であり、緑化を必要としたのである。S氏はその後、大阪府生駒山系の開発規制を強力に進めて行ったとのことである。その結果の自然推移がこうした景観変化をもたらしたものであろうか。
 
生駒山系のハイキングと森林管理

生駒山地の土地利用
 生駒山地は大阪側が急峻で、奈良側がなだらかと言われる。奈良側は矢田山系に挟まれた谷を形成しており、奈良盆地は矢田山系の向こうにある。大阪は生駒谷からは大阪が西に、矢田山系が東となる。生駒谷は昔は平群と呼ばれて、山間にも山田が開かれて、平群氏族の依拠する流域であったということである。現在でも、山間に集落が点在し、花卉や野菜などで水田とともに農業地域となっている。自動車のやっと通れる細い道が縦横に通じている。平群に住む姉は夜でも明かりが点在して、人気の感じられる不思議な山地だと言っている。姉夫婦も新興住宅地の住人なのだが、こうした住宅地が山の斜面を造成して忽然と見出される。
 大阪側は急峻であるために森林となっており、山麓大阪平野を西に展望することが出来る。大阪平野は以前は水田の広がりを見出せたのだろうが、今は住宅が広がり、都心に近づくほど高層のビルが林立してくる。平野から見て、生駒山は花屏風、緑屏風となって見えるのであろう。壁ではなく屏風であることが、生駒山への親しみがわくところであろう。

近郊自然公園
 生駒山系は金剛・生駒国定公園に戦後の自然公園法の制定とともに指定されている。戦前に国立公園法が作られ、国立公園の指定が問題となっていた時期、瀬戸内海につながる六甲山系が国立公園指定地として取り上げられていた。生駒山近鉄奈良線のトンネルがあき、山頂までのケーブルカーと山頂の遊園地が作られ、行楽地となっていたが、国立公園の候補地はならなかった。戦後の自然公園法は都市住民の休養利用の場としての自然公園が重視され、都道府県立、国定公園と自然公園の範囲が広げられ、金剛・生駒国定公園が設定されたのであろう。近郊公園として明治百年記念事業で森林公園として箕面国定公園の指定も行われた。