経ヶ岳自然植物園

はじめに
 経ヶ岳山麓の集落の地誌を作っている方から突然、電話があった。経ヶ岳自然植物園の森林の変遷を記した看板の文章を地誌に掲載したいということであった。
 経ヶ岳植物園は伊那市が昭和25年の講和記念の公園として設置されたものであった。当時は庭園で使われるような樹種を植栽していて、昭和40年代の後半には、手入れも悪く、植栽した樹木の多くが衰退し、荒廃していた。それを、今から十数年前にグリーンツーリズムのカントリーウォーク事業の一環として復興する計画があり、計画の相談を受けたことがある。植物園を自然植物園に転換して、現在ある樹木や草本植物を楽しめる場所にするように提案して、改造のための案を提示したところ、伊那市の事業として草原や森林を整備して自然植物園が実現することになった。
 経ヶ岳山麓も広大な草刈場があり、集落ごとに区分して利用する入会地であった。経ヶ岳植物園は山麓集落の共有地を借地して設置しており、現在も集落の人々が共有地として草刈を主として管理を行っている。集落の人の持っている写真には昭和30年代には山麓の草原が写されている。それは、植物園が設置された場所であった。植物園の野草育成のために、集落の住人の中から植物の好きな人を選んで、自然植物園の管理を委託するようになったが、年に一回は、集落の住人が総出で管理作業を行っている。それは、住民の楽しみな事業となっているようで、自然植物園は十数年の間に見違えるような場所に変身している。


 地誌に採用したいという文章は、自然植物園の植物が、草刈場の草原からの変遷して多様な森林や草原を成立させていることを記したものだった。

自然植物園の構成要素―野草・草原・樹木・森林・山地
 植物園は植物を収集、展示するものであると考えられ、世界的なキューガーデンが思い浮かばれる。日本で京都府立植物園などである。しかし、自然植物園はそこにある植物を観察、維持していくものであろう。自然植物園のイメージは北海道大学の附属植物園が思い出される。植物の保護の点では国立公園の保護地域が思い浮かぶが、植物園とはいえないだろう。経ヶ岳自然植物園は、自然保護地と植物園の中間的な位置で、自然植物園と言えるものであろう。
 馬場先生と学生の調査によって、植物リストが作られ、観察のためのパンフレットが作られたが、それがなければ、ただ、手入れの良い草原と様々な種類の樹林が見られるだけで、広場と遊歩道のある公園と受け取られるだろう。実際、地元集落の人も地域の公園として利用し、管理しているように見受けられる。植物観察に訪れる人は稀かもしれない。
 一時、管理を任された人が、野草に名札をつけ、次に野草を採取する人の警告の立て札を作った。結局、名札をつけないことになり、そうすると、その種類を育成するための草刈がなされなくなり、今は草原の中に埋もれている。管理を任された人は、地元集落で生まれ、住んでいる人である。小さな時には、お盆の花をこの場所から探してきたそうである。秋の草原を彩るオミナエシカワラナデシコ、キキョウ、アヤメ、ヤマユリなど豊富にあったそうである。山麓は一面にススキ草原で被われていたと考えられ、当時の写真もその管理する人の家にあったものである。ススキ草原の維持は草木の採取の場所として刈り取られ、火入れがされておれば、地域の生活の中で維持されてきたであろう。草原の利用が衰退して、山麓一帯は森林へと遷移し、植林もなされて森林となった。植物園だけに小さな草原が地域住民の共同管理で残ることになったわけである。
 植物園は個々の種類が見分けられ、その特徴が観察される。様々な種類が混生し、密生した森林は個々の樹木を見分けにくくしている。カラマツと混生したアカマツ林、シラカバと混生したアカマツ林、樹形の特徴が見えない密生林の状態が自然植物園の整備前の森林の姿であった。山麓南斜面でアカマツ林が草原から遷移して成立したと考え、アカマツを基調として、カラマツの樹群、シラカバの樹林が配置されるように整理した。アカマツの下層にカエデ、サクラ類が見出せる。アカマツの衰退は、カエデやサクラの森林を成立させる可能性がある。カエデは林縁にサクラは草原の点在木として残すことにした。これらの選木には地元の人に来てもらって、どちらを残すか選定してもらうなどして行った。森林は疎林としてアカマツ林であれば、林床のヤマツツジの開花と生育を促すように、明るい林間とした。個々の樹種の特徴的な樹形が見えるようになり、様々な樹種の特徴が観照できるようになったが、これは、木々が群としても構成され、絵画的な風景を出現させることになった。すなわち、森林が樹木によって構成されている姿が明瞭となったといえる。伐採には造園会社に勤めていた林業の専門家が担当し、隣接木や下層の樹林を最高に残して行われた。
 林木の配置は立地条件によって相違している。場所の高低、尾根、谷による土壌の微妙な乾湿の相違、風力と風向の場所による微妙な相違、斜面の向きによる日照の相違に、森林と樹木の種類、生育、樹形は反応している。林分の配置はその地形、場所の条件に適合して、特徴が強調されなくてはならない。

おわりに
 権兵衛トンネルが開通して、伊那谷から木曾谷への通路は権兵衛峠を越える必要はなくなった。経ヶ岳自然植物園に面した林道を通る人は今ではほとんどいない。林間に見出す明るい草地を訪れる人も地元の人以外はいないだろう。しかし、地元の住民の管理とともに、このような自然植物園はめったにない存在といえる。この植物園に関わったことを一人誇りに思っている。しかし、森林はいつまで持続できるだろう。山麓の森林の取扱いとともに、自然植物園の位置づけを明確しておくべきであったことが悔やまれる。来る人も無いままに、いつか自然植物園は山麓の森林の中に埋もれていくのであろうか。