森林の将来像

はじめに
 将来予測は、人口や資源、経済、地球環境などを日々、目にしている。その予測から現在の政策が根拠づけられる。現在の政策は、予測だけではなく、希望的な将来が含まれる。現在のあるべきという希望は理想である。人類の将来像を描くことは、予測によるものであれば、非常に不鮮明で、不確定である。理想の実現に向けた行動は、人の意志であり、その実現の過程は、挑戦的な試行錯誤であるが、条件と変化の予測から、行動を規制して、目的に向かう計画を立てる事が出来る。将来像は予測されるとともに、実現を目指す目標でもある。
 現状は過去から見れば将来であり、過去の将来像として実現されたといえるかといえば疑問である。子供のころは、現状がすべてであり、将来も現状が持続し、過去からも変わらぬ現状があったのだと信じていた。人間は年を取り成長するだけで、自然や社会は不変なまま持続すると考えた。そんな中で、自分の目標を見出せないまま、現状の世界を知り、そこでの自分を知ることだった。そして、何も持たず、何者でもない自分を見出した。その自分が見出したものは、山の自然だった。不変の山の眺めが、季節と共に芽吹きや花、緑陰から紅葉、落葉などの変化で、音楽とともにその変化を心に刻むことだった。毎年くり返される変化が樹木の成長によって変化していくことに気づいてから、山の自然の変化は夢想的な憧れとなった。
 不変な社会が激動し、翻弄されたのは大学に入学した年であった。自分の土台が揺らぎ、懐疑的となった。実存主義が流行したが、そのこと自体も懐疑の対象であった。挫折という言葉も流行した。しかし、得体の知れない社会に対立する手がかりさえ、見出せない現状だった。高度経済成長期に向かって雪崩のように、社会の転換が生じた。自分だけでなく、多くの人が逆からいようもなく、呑み込まれてしまったのだろう。その覚醒は大学紛争だったのかと思う。

森林の将来像
 北海道の自然は、開拓の人々に厳しい条件であったのだろう。しかし、自然環境が厳しい条件に置かれていることを、舘脇先生の講義で教えられた。北海道の自然環境は開発によって早晩、失われるかもしれないということであった。知床で過ごした一月半の生活は、まさに、開拓の人の苦しみそのものだった。しかし、そこに見られた原生林の神秘さはたぐい稀なものであった。原生林は悠久の自然そのものであった。この原生林の不変なる自然は人間の破壊で、失われてしまうのかと社会のありように驚きを禁じえなかった。原生林には負の将来像しか見出せないのか。
 信州に来て、南アルプスの森林に触れた時も森林の開発が問題となっていた。数百年のサイクルで成立する原生林は、様々な様相を呈していて、極相の状態は部分的であるのかもしれない。原生林を森林の将来像とするなら、その数百年のサイクル自体が目標といえるのだろう。そして、そのサイクルによって悠久の自然が持続しえた。原生林を老齢過熟林だという言い方があるが、それは極相の一部にすぎないことは確かであろう。また、森林の遷移の終極に到達する可能性のある森林を潜在自然植生という言い方もある。現状の原生林の林相は、潜在自然植生のポテンシャルを顕在化しているといえるだろう。そうした原生林が開発の危機にさらされ、多くが失われた。
 人工林や二次林がどうなっていくのか。また、どのような森林を目標に育成すれば良いのか。その目標は何年先なのか、判りにくい問題である。現在の植林されている樹種の寿命とその最大年齢の樹形と林相を見出し、そこにと到達する過程を見出すために、林齢の異なる森林を段階的に配列して、森林の移行過程を見出すことが可能かと調査したことがある。アカマツ、ヒノキ、スギ、カラマツについて、200年生以上の森林を見出すことができた。しかし、こうした高齢林でも、その林相は相違している。また、その林相が持続的に見出される原生林のようなサイクルを成立しているとは言い難い。あまりにも長期の森林の森林の成育を持続させることは、歴史的な変転の激しい社会には困難である。

恒続林
 メーラーの唱えた恒続林思想は、ブラジルの原生林の体験に由来していることが述べられている。森林は環境と無数の生命の有機体であり、その有機体を持続させて、木材の収穫や様々な利用を可能にする森林のイメージ(将来像)である。