庭空間における植物の力

はじめに
 マンション中庭の植栽が進み、地面が植物で覆われてきた。裸地は殆ど目立たなくなった。ジャノヒゲ、ギボシユキノシタ、オシダも生育し、自然に見えるようになり、配置された岩石と調和するようになった。植えたもの以上に元からあるシダやコケが生育し、新たな植物の芽生えがあちこちに見られるようになった。土壌は生命の源であるように、土地は緑に充たされた。その中から繁殖しすぎるハルジオンの芽生えだけを除いて、コケの土台から様々な植物が生育し、配置された岩石による空間を緑の光に包むようになった。

ミクロな生命空間
 小さな頃、コケの絨毯に被われた小さな沢の谷間に入ったことがある。小さな空間が広大な森林を見渡す大渓谷に見えて、コケの一本が大木に見えるようだった。マンションには何人かの小さな子供がいる。小さな芽生えが散りばめられたコケの絨毯から、未知なる世界を夢見ることはないだろうか?そして、広く世界を知る時、子供の頃の小さな世界で、既にその広い世界に出会っていたことに気付くことはないだろうか?
 土壌によって支えられた植物の力が、空間を充たす緑の輝きをもたらす。この大地と生命への信頼感がどれだけ、心のささえとなることだろう。いや、心のの支えではなく、農業を通じての生存の支えであることが、次第にわかってくるだろう。いや、生存を超えた自然と一体となる存在感を小さな子供の頃に感じているのではないだろうか?

空間の階層
 コケと同じ大きさの芽生えはコケの上に葉を広げて、コケを見えなくする。しかし、コケはその葉の下で瑞々しくなってくる。さらに、草本や木本の植物が生長して、芽生えの上に覆いかぶさり、日陰を作り出す。こうして、幾層かの緑陰にによる空間階層が生み出される。下層ほど光が弱く、上層ほど乾燥する。コケは上層に守られて湿潤な条件を確保している。緑陰は何重にも重なり、その重なりの中に光を透過させ、空間を緑色の光に充たすのだろう。緑色の生命に充たされた空間の体験は、子供の生命の存在感そのものではないだろうか。
 鉱物と生命、光と水分の均衡した空間、それは、生きるよりどころであり、マンションの中庭のミクロな世界から地球へ広がっていることを体感するのではないだろうか?