放棄桑畑の森林回復

はじめに
 旧八坂村の放棄桑畑の森林回復にK氏が取り組んでいると、S氏に連れられて出かけきた。クズに被われた桑畑で桑が枯れている姿に、クズの猛威を感じた。山村の生業に養蚕業が栄えたのは明治になってからであろう。山地を桑畑に開墾し、山村も新たな経済社会の一端を担って、現金収入が得られることになった。戦後に至るまで養蚕業は山村を潤していた。しかし、戦後の化学繊維に押され、絹の利用は減退とともに養蚕業は衰退していった。桑畑は放棄され、藪に被われることになった。桑畑が果樹園や野菜畑に転換したり、植林されたところもあるが、山間地に点在した農家が消滅して、山林の一部となり、跡形もなくなったところもある。しかし、クズなどの繁茂で森林化が進まず、山村の農業衰退とともに、労力が欠乏して、荒地のままになっているところがあるというのが、八坂地区の場合であろう。
 こうした荒れた桑畑の跡地を森林化する必要性は、山村への新住民の移住によって生じるのであろう。放棄された桑畑や農地は野生動物の棲息区域を広げるのに役立っているのであろうし、その野生動物による残っている農地への獣害が深刻になっていることは、張り巡らされた獣害防止のネットから推し量ることができる。荒廃した農地の藪を刈り払っても、雑草などの繁茂は一層促進される事になり、それだけの労力は持続できないであろう。植林や森林化でこの藪の繁茂を抑制する必要がある。森林となれば、後は蔓切りだけで森林を持続できる。しかし、植林木の生育のための下刈り作業も数年を要することになる。できるだけ、跡地周辺の周辺樹林や残存の桑を活用して、下刈り範囲を狭める必要がある。これは萌芽更新の場合にも言えることで、藪の除去の範囲を一挙に拡大することは、下刈りの拡大に労力が追いつかなくことが心配である。それは、電柱鉄塔下の草原の回復に着手した塩尻下西条でクズの繁茂の威力の例を見ることが出来た。

放棄農地の森林化の方法
 放棄農地が森林化していくことは、自然か人為的な植林なのかは分からないが、多くの場所に「いつの間にか」生じて、どういうプロセスかはわかりにくいことであろう。下西条の草刈に広い草原に数本のシラカバが生育し、クズによる傷められていたので、蔓切りを行ったり、ススキなども残して、ススキからの森林化をはかるのどの方法を考えたことがあるが、広い範囲の中での多くの人の作業では、ごく、局部的な作業であろう。
 馬籠の放棄水田にオニグルミの木が1本繁っているのを見かけたことがある。その緑陰の下は、何も生えていない状態であった。草刈をした形跡もなかったので、水田の土壌によるものと考えられたのだが、オニグルミのアレロパシーによるものではないかと言うひともいた。もし、そうだとすれば、下草が生えないために、オニグルミの植栽がよいかもしれないと考えたことがある。下草を抑えるためには、密植して早期に樹冠の閉鎖を生み出すことが、草刈の労力を抑制することになることもあるだろう。しかし、一戸で数ヘクタールの規模の桑畑の放棄地への対処は、労力の限界があり、地域的な協力が必要となるだろう。
 クズの猛威もあるが、フジやアレチウリも強力に繁茂する。それぞれの種類で対処方法が相違することも考えられる。とくに、アレチウリは侵入を許さないことが大切である。
 放棄農地も水田、畑地、桑園によって相違するであろうし、それらの森林化の方法とそれらの方法の適、不適の条件に関して、専門的な判断を教えて頂ければ幸いである。