生駒山地 スカイラインの眺望

はじめに
 生駒霊園に父母の墓があり、姉夫婦、甥夫婦とともに墓にお参りした後、時間が少しあったので、信貴生駒スカイラインを往復することになった。40数年前に生駒山地の緑化の調査を行っていた頃から始めての通過である。
 信貴生駒スカイラインは、日本でも最も早くできたスカイラインの一つであろう。1960年代の自動車の普及とともに、新たな観光としてドライブが取り上げられ、各所にスカイラインの建設が行われていった。生駒山信貴山は戦前からの観光地で、ケーブルが山頂まで付けられていたが、生駒山信貴山の尾根を縫って、つけられたスカイラインは新たな眺望の魅力を生み出した。建設当初の生駒山地は、とくに尾根部は、低いマツなどが疎らに生える荒廃した山地であったろう。尾根からの眺望はどこでも開け、眼下に大阪平野奈良盆地が見渡せ、生駒金剛山系の連続した山並みが、見通せる文字通りのスカイラインであった。40数年前からどのように変貌しているのか楽しみであった。

スカイライン
 スカイラインは、サクラ、カエデの並木が植えられていたが、それらが育ち、秋のカエデの紅葉のトンネルは見事といえる。春はサクラの花が秋ののカエデに変わるのであろう。しかし、スカイラインからの眺望はほとんど見られない。以前のマツの荒地の光景は、コナラの繁茂に変わり、その下層には、照葉樹や広葉樹の低木が入っているのであろう。また、沿道の林縁は、密生した背丈のあるササで被われて、壁となっており、壁の間を通り抜けている。

展望台
 大阪側の斜面は急であり、大阪平野に乗り出すように展望台がつけられている。途中には何箇所もの展望のための駐車場が設置されている。眺望は展望台からだけとなってしまった。ドライブによって展開する雄大な眺望は周辺の樹林の生育のために昔のことである。展望台からの大阪平野の夜景はすばらしいであろうが、この日、下界にうす雲がかかり、見通しは悪かった。

信貴山笠置山金剛山の山並み
奈良盆地を囲む山並み

ハイキング道
 ハイキング道は尾根に沿った山腹とスカイラインを横断する峠道で構成されている。中学か高校の頃に友人とハイキングに来たことがあるが、確か、暗峠を奈良側から大阪側に下ったのではないかと思う。尾根付近は前述ようなマツの荒地であった。1960年代前半の頃は、若者の登山ブームで一般の多くの人々がハイキングを行っていた。六甲や生駒は都市近郊の山地で、休日のハイキングを大勢、楽しんでいた。
 展望台の広場に、山頂の遊園地から下ってくる人々、下から上がってくる人々が続いて現れるので、現在もハイキング地として賑わっていることがわかる。
上から降りてきた人
下から登ってきた人
 利用者の多くは、中高年や小中学生などが多く、グループが多いようである。しかし、ハイキング客が森林の中から突然飛び出してくるように見える。登山道の周囲のササが繁茂して、入口、出口も分からなくなる。案内の標識も見当たらない。道幅が広くなければ、道がササに被われてなくなりそうである。

森林の成長
 スカイラインの眺望が、森林の成長によって遮られ、眺望が展望地に限られることはどこでも起こっていることである。かって荒廃したような山地も眺望の点では効果を発揮していたのであろう。その荒廃は山地が過度に利用されていたためであり、森林化は山地の利用が減退したためである。森林化によって緑化対策の必要が無くなり、大阪平野からの山地の眺めが、花屏風と言われるように多様な樹木の山腹となっている。
 しかし、森林は過密であり、また、林床はササで人が入ることが難しくなっている。森林の風景を改善するには、間伐が必要であり、林内の散策にはササの刈り払いが必要である。ツルの被さった場所はツルの除去が必要である。しかし、山地が生産的に利用されなくなって、こうした手入れの必要も生じないのであろう。ただ、ハイキング客やドライブ客には森林の現状は、楽しみを阻害している。