シラカンバ林のイメージ

はじめに
 シラカンバは市街周囲の山地には見られない。美ヶ原の山腹や霧が峰に行けば、見られる。北海道に住んで、未だ早春のの手稲山に上った時、一面ののシラカンバ林に被われ、その幹の周囲の雪が窪んでいて、とても珍しかったのを覚えている。しかし、ロシア民謡の走れトロイカから想像したシラカバ並木の想像とは相違していた。
 シラカンバのイメージは雪の大地と結びつき、信州では高原と結びついているのかもしれない。雪とシラカンバの白い幹が一体となり、雪の単調さを和らげ、シラカンバの幹と枝のシルエットが早春の青い空に映えて美しい。しかし、どんよりした曇り空では、厳しい冬の陰鬱さを増幅する。かえって針葉樹の緑の入る森林に安息を感じる。
 ロシアに生えているシラカンバ林は、武蔵野の雑木林に重なり、武蔵野の雑木林が、信州の高原や北海道の大地のシラカンバ林へと連続しているのであろうか。シラカンバ林は、カラマツ林と同様に、日本の木の中で、洋風のイメージになる。北海道の開拓時代を思わせる農村、農家に沿うように残されたシラカンバは、北海道の農村が広大さとともに、洋風に感じる原因かもしれない。北海道の開拓に内地から持って行った望郷樹が内地の農村風景に近づこうとしているのに、洋風の風景は日本の近代化への開放的な風景であるのだろう。

ラカンバの生育
 シラカンバは、森林の先駆樹種といわれる。森林が破壊され、明るい場所ができた時に、侵入する樹木で、普段は林縁などに出てくるのかも知れない。信州で山麓のやや標高の低いところでは、アカマツと競合して生育するが、アカマツの樹高が高くなると、シラカンバは衰退してしまう。シラカンバの街路樹や並木で成功しているものを見かけないのは何故だろう。土壌が貧困、根が張れない立地、開放地の風の強さ、市街の熱射、温暖さのため、植栽時の根の切断などの悪条件のいずれかである。この逆がシラカンバに好適な生育条件であるのだろう。
 北海道で見た光景は、山火事による森林破壊の後に生じた広大なシラカバの純林であったが、それから半世紀近くたって、どのような森林へと遷移しているのであろうか。シラカンバの寿命はそんなに長くないとされるので、全く異なる森林に変わっているはずである。シラカンバ林を伐採して利用していれば、また、再生してシラカンバ林が維持されているのかも知れない。
 信州でアカマツとシラカンバの混淆する森林で、アカマツを除いても、シラカンバは虫害のためにうまく育たないことがある。経ヶ岳植物園でシラカンバの樹林を群状に残るように整理伐を行ったところはうまく育って成功している。霧ケ峰の山腹、和田峠で見かけたのだが、シラカンバの一斉林が雪のために倒木している状態を見かけた。樹高が高く、過密となって被害を受けたのであろうが、被害の前から衰退していたのかもしれない。過密状態を緩和すれば、もっと、樹齢を伸ばすことできたのであろう。信州の高原のシラカバ林は、山地の草地を火入れで維持してきた場所の森林化であろう。標高のやや高い高原では、競争するアカマツが生育していないので、シラカンバの一斉林が生じたと考えられる。

ラカンバ林からダケカンバ林へ
 シラカンバ林からダケカンバ林への標高に伴う移行は、アカマツ林からカラマツ林への移行に一致するようである。山岳地域の天然カラマツ林には、ダケカンバ林が隣接して生育している。天然カラマツ林は、崩壊地や川原に出現する。川原では標高の上方にカラマツが現れ、下方にアカマツが現れる。崩壊の上部から下部にかけて、長い土砂の流亡する沢筋の堆積地がカラマツの成育の場所である。そのカラマツの帯を囲むようにダケカンバの帯が現れる。土砂の安定は、カラマツ、ダケカンバから亜高山帯針葉樹林へと移行する。しかし、安定しない沢筋ではいつまでもカラマツの再生が繰り返される。ダケカンバは森林限界にも見られ、低木となってハイマツ林の中に点在するように進出する。
 北海道ではシラカンバとダケカンバの境界は、わかりにくくなるのではないだろうか。シラカンバとダケカンバの葉による区別を学生時代にならったが、相互の交雑種もあるという説明に、どちらがどうなのかが分からなくなってしまった。

ラカンバの利用
 北海道でシラカンバがマキストーブの主なマキであった。エネルギー革命の影響は、マキストーブにも及んだのであろう。シラカンバの材が、建築用材に使われるのも、見たことが無く、みやげ物の彫刻に使われるぐらいのようだったので、利用価値は不明である。パルプなどには使われるのであろうか。北海道にはセンノキなど大木となる広葉樹があり、家具材などに貴重な存在であろう。シラカンバは先駆樹種として一斉林となるが、あまり、大木とはならず、木材としての価値は低いのであろう。
 北海道では、再び、マキストーブを復活させ、家庭用燃料としてシラカンバを利用すれば、シラカンバ林の循環的な施業も成立することが可能だろう。自給的な薪炭林の普及で、農地の中にシラカンバ林が点在する風景が出現すれば、シラカンバ林の利用(功利)と風景(美)の調和と言い得るのであろう。かっての武蔵野の雑木林のロシア的な風景に転換した再現でもある。シラカンバの新緑は気持ちよいが、冬の雪景色に相応しい樹といえるのであろうか。