森に埋もれた庭園

はじめに
 庭は廃園となれば雑草が繁り、草木の成長の中に埋没する。庭を維持してきた人が、庭を維持する意欲を失って、放置すれば、たった、1年間放置しただけで、廃園の影が忍び寄る。高齢化社会の中で、庭が楽しまれるとともに、また、廃園も増加し、やがては、住居に住む人もいなくなる時がやってくる。跡継ぎの家族がいる家では、若い人の意識で古い庭は改められ、作り変えられている。庭はただ、その庭を維持する人の生きている限りのものでしかない。
 優れた名園を鑑賞に行くことがあるが、その庭園を造った人の意図がどれだけ、受け継がれているかは判然としないことが多く、現在の庭の維持によって庭園を鑑賞している。あるいは、過去を尊重すれば、自然の推移に任された庭を見ることになる。新たな意図で生まれた庭は、以前の庭とは相違するのであるから、自然の推移に任された庭、庭ではなくなった痕跡に最初の意図を推測することしかできないかもしれない。記録などによって、その一部が引き継がれ、また、庭の名声によって記録が残る場合もあるが、それは、過去の推測の手がかりとされるのだろう。しかし、森林に埋もれた庭園を鑑賞して対自したとき、作庭の意図はやはり、森林に埋もれたままなのである。
 京都の苔寺には30年以上前に出かけただけであるが、森林に埋もれた庭園の姿を見た。苔は自然の変化であり、夢窓疏石の作庭の場所でさえも定かではなく、それ以前の苑池と混在しているようである。石組みは、古墳の跡と言われたり、どこに疏石の意図があるのか、意図が何かも分からなくなる。様々な説明は、混乱させるばかりなので、ただ、庭に浸り、夢窓疏石の作庭に思いをめぐらすだけなのである。銀閣寺にしても将軍義政の意図は同様であるのだろう。そればかりではなく、あちこちの庭の意図さえもが、自然の中に埋没しているといえるのではないだろうか。

庭の手入れ
 庭の手入れは、毎年、草木の生長を除いて、作庭の意図が再現されるようである。しかし、剪定は成長によって変えられるとすれば、徐々に作庭の意図も自然の成長に影響を受けるのかもしれない。庭は固定的なものではなく、自然とともに、その意図が変えられてもよい。あるいは、そうした自然の成長を予測した、変化する庭園の意図が働くことも考えられる。庭は人工の技であるが、自然に即応するものでもある。どれだけ、人工を維持するかが、手入れの重点となる。何百年も変わらない南禅寺金地院の刈り込みに、人工を維持する強い意図が感じられるだろう。一方で、自然に即応した苔寺の庭園に真の作庭の意図が感じられるのである。手入れの強弱、自然風の度合いが、庭園の現状を生み出すことは確かである。庭の管理が、庭園の意図を左右している。
 庭の手入れを放置する時、庭園が失われないために、森林や、草地の管理に移行する。森林や、草地の管理は、作庭の意図に干渉することはない。庭の痕跡を現出するだけで、森林や草地はただ、自然の状態のままで、そこに、人の意図は作用しないのである。あるいは、森林や草地を維持していることが庭園の意図と言えることなのだろう。

森林の庭
 森林や渓谷などの再現は庭とは言えない。森林を庭園としようとすれば、森林を破壊することになる。