公園林と風致林

はじめに
 風致公園をウィッキペディアで見ると「風致公園は、特殊公園のうち、主として風致(自然の風景などのおもむき、味わい)の享受の用に供することを目的とする都市公園であり、樹林地、湖沼海浜等の良好な自然的環境を形成する土地を選定し、配置されたものをいう。」とある。風致地区における「風致」と通じている。風致公園における樹林は「風致林」といえるのであろう。逆に公園内の森林は風致林とする必要がある。森林において風致が保たれ、利用されている場所を、風致保安林として指定することもある。これも風致林といえるだろう。
 公園内の森林は、風致林であるとは限らないので、森林を風致林として育成する必要がある。公園内の天然林が、風致林であるかと言われると、そうである場合は多いが、手を入れると、さらに、その天然の風致を向上させることができるように考えている。例えば、枯れ木や枯枝の除去であり、下層の樹木を選んで育成するために周囲を除伐することなどである。安全で、健全に持続する天然林の良さを発揮させることが風致的手入れと言えるのではないだろうか。人工林である場合は、目的が木材生産から公園環境へと転換しており、林相の転換も必要となる。

公園林
 公園林に類して、森林公園の名称が先行している。森林公園は、神戸市の森林公園が発端であるかもしれないが、昭和40年代に武蔵丘陵森林公園など、既存の森林を公園用地として、公園利用に適合するように改造して整備されたものを総称していると考える。市民の森、県民府民の森という名称もその頃のものである。私は大芝村有林の生活環境保全林整備事業に当たって、施業林を環境保全林に転換するのに、隣接した大芝公園と区別する上で、公園林と称していたことがある。
 公園の原義に還って考えると、公園がParkに由来し、中世から近世のヨーロッパの領主層の狩猟の場としての林地で、農村共同体の利用と拮抗して成立しているものである。近代に、共有林とともに開放、公開された時に、公園となってきた。また、中世には都市が所有する、あるいは都市の領土としての都市林があり、生産的にに利用されるとともに、市民に公開されるものとなった。日本の場合の県民、府民、市民の森は、森林の公有地化、公有林の公園化によって昭和40年代に成立したものである。大芝公園林の名称は「みんなの森」となっている。
 森林公園と公園林における森林の取扱いは、森林公園が公園利用を優先するのに対して、公園林は森林を優先してそこに公園利用を導入しているという相違を、設定できるのではないかと考える。森林公園において森林に求めるものは、風致林あるいは、自然観察のための保護林であり、公園林では施業や山菜とりなどの行われる共有林に類した森林を公園利用しているという相違が、想定される。言葉の定義までのことは無いかもしれないので、自分が森林づくりに当たった想定の範囲である。
 公開された公有林として、公園林を考えるならば、森林、施業林の持続による多様な利用が求められ、これが森林本来の姿といえる。

風致林の展開
 森林公園にとって森林が風致林であることが公園利用に必要とされる。風致の魅力の無い森林は、人々を引きつけることができない。森林公園にあっても、風致林の衰退が生じた時に、公園利用の減退が生じる。都市民の自然不足の中で、自然享受の場として設定された森林公園において、風致林の持続は重要な課題である。風致林の持続以上に向上に向かえれば、都市民の森林観の文化的な向上となるだろう。持続してきた風致林が衰退し、風致の再生が問題となる場所が見られる。高齢、巨木林で長く風致を保つ所もあるが、そうした風致林も更新しなければ、持続できない。多くの神社林にその例を多く見る。
 公園林が風致林であることは、何ら問題の無いところであり、風致林が固定的な風致に満足しないで、森林の持続によって風致が維持され、向上すると考える時、公園林と風致林は合致し、公園林における森林利用、施業が持続的な風致林を成立させることになるだろう。

さいごに
 林地所有者の森林離れの著しい現在、公有地化と森林公開が必要となるのではないか。森林は元来、共同体に公開されていたものではなかったのか。われわれの居住地に森林が豊かさと風致をもたらしてくれるように。