景観の計画から科学へ

はじめに
 都道府県や市町村では、行政の実行の上で、様々な事業が計画段階で、検討されている。三全総の時期に、地域計画学成立の期待から、住民のための計画に、計画の主体となるべき住民参加が盛り込まれ、今日では各種の計画に公募による市民参加は、一般化している。現在、自治の不徹底な状況で、市民主体とはいかずに、市民参加が現実的であるのだろう。
 計画の目的は、空想的ではなく、現実的で実現可能であることが必要である。そこで、現状の知識と現状を分析する科学が必要される。計画思想は、理想やユートピアを目標として、非現実的であることで、実行は出来ても、実現には到達できない。そんな計画案の実例は枚挙に暇が無く、それを作る専門家は現代の衒学者となるのであるのだろう。
 理想の追求は、停滞した現実の脱却を目指す上で、大切であるが、現実を見失う時に、挫折してしまう。目標に向かう計画の実行の過程は、しかし、実行してみないと確かめられないという問題がある。その過程も想像の領域であり、想像されるいくつかの選択肢に悩まされるものといえるのだろう。
 計画が成功して現実となるか、失敗した現実に直面することのいずれの場合にも、市民はその現実に制約されることになる。計画を行わない場合も同様である。計画を行わず、現実の推移を放置してみることは、見るという点に科学が成立しうる。過去は、この現実の推移の結果である。過去の現実を分析することは、将来予測の唯一の根拠である。これまでと異なる将来の要因の変化は予測の範囲を越えるかもしれないとしても、将来とも不変な要因と条件からは現実の推移を見出すことが出来る。現実の推移を何もしないで観察するということは、将来予測の基本であるが、その将来予測の上で何もしないで見れば、予測に似た結果が生じることになる。これを回避し、行動によって予測結果を変更することが計画の目的となる。空想は現実を見ないことであり、行動といういう要因だけで、未来が生じるとする結果であるが、将来の現実には合致しない結果をもたらすことは明らかである。
 空想より科学への方向は、19世紀に示されているのに、景観計画には、期待される景観への空想的な計画が何度も繰り返されているのではないだろうか。景観は客観的な事象なのか、主観的な評価なのかの混迷から、空想的な計画が生じたと考えられる。主観的な評価が、社会的な要求となり、社会的な要求が生じる社会構造的な要求が存在しているのかの根拠が大切であったのであろうが、実行による空間の改変が、工学技術として優先したせいなのであろうか。景観の総合性、広域性は、無視され、部分的で一面的な景観改変に終始したのではないか。景観改変の限界性も明らかにはされなかった。景観計画の研究者と専門家は、社会的な景観計画の場で、景観の計画目的の成立条件を明らかにして、限界の中で実行可能な計画案を提示することで、空想的な計画を科学的な計画に転換する必要があったのであろう。景観計画の委員会が設定された場合、市民参加による様々な立場と主観的な意見を整理し、計画組織の共通認識が科学的な根拠に立ったものとなるように、働きかけることが、専門家の責任である。これは、自省である。

景観計画の成立
 景観計画の専門には、建築、土木、造園、地理学、自然科学とくに地形、植生、知覚心理学などの分野が関連している。農林業などの産業分野からも関連がある。しかし、景観計画の専門はいずれでもなく、総合であり、連携協力で成立する。景観計画の必要性は、都市整備、風景式庭園の公園への展開、とともに発生している。産業開発と自然公園の設定、地域開発と自然環境保全が対立から、均衡の関係に移行するに連れて、広域の範囲を生活環境の対象とする地域計画が必要とされるようになり、そこに景観計画が位置づけられてきたのであろう。
景観計画はどこまで科学的になりうるか