転ばぬ先の杖つくり

はじめに
 転倒によって危うく大怪我となることが何度かあった。しかし、大事には至らず、後遺症ははない。若い時に鍛えた体力によるのか、不思議な力に守られているのかは、定かではない。高齢になってからの事故は、一歩誤れば、取り返しがつかなくなる惧れがある。これからの生涯はもう両親ともにいなくなったが、身体髪膚が健康であることが、ますます貴重である。単に歩くだけのことに、大きな危険がある。坂道で躓く、崖から落ちるなどは無いとは言えない。そこで、杖が必要となる。しかし、体が弱ってくれば、杖に頼るようになるだろう。
 バリアフリーの環境も整備されているが、部分に過ぎないとなれば、かえって、バリアフリーの環境に依存するのは行動が制限されるし、そうでない環境に出た時に危険に遭遇するかもしれない。昔の老人、とくにおじいさん(自分もそうなったのだが)はステッキを持っていた。私の祖父は細い棒を見つけて、杖を作り、油で拭いて、丹念に光らせて、持って歩いた。それを見習って、山の枯れ木で杖を作ることにした。

杖を作る
 山でヒノキの枯れ木を見つけた。直径が10cmくらいだが、立ち枯れて、腐って立っているようであった。腐朽した幹が崩れ、中に、硬い芯が残っていあたので、まわりの腐った部分を崩して、芯だけを残して削った。丁度あごが載るくらいの長さで、枝の跡が30年分残っていた。150cmになるのに、30年間5cmづつ伸びた計算になる。太さが3cmほどなので、1年間に1mmしか伸びなかったことになる。腐った部分はそれ以降に伸びたのであろうから、60年生以上になって枯れたのであろう。私の年齢に近いヒノキだったのだ。それにしても、遅々として成長することなく、伸びてきて枯れてしまったのだ。幹が芯だけとなって、硬くて、細いが簡単には折れそうにはない。また、これ以上腐ることもない。
 以前であった行脚する僧侶も杖を持っていた。その杖の長さは肩ぐらいまであったようである。ステッキが腰ぐらいであるのに、随分と長く、棒を振り回せば、僧兵の武器にもなったのかなと、平和な時代にとんでもない想像をしてしまった。しっかりした棒は杖ばかりでなく、いろいろと便利であったろう、手の届かない高いところのものをとったり、何かを掛けたりもできる。杖は長くなくてはならないわけである。杖は歩く時の支えばかりでなく、立ち上がるときの支えにもなる。腰が悪い場合には、少し長い杖が必要である。兄貴には長い杖が役立ちそうである。
 祖父のように、杖に磨きをかけるのはこれからである。こんなに長い杖は最近、とんとみかけないので、武器に見られると困るが、写真を取るのに高さを安定させるにも便利そうである。山でマムシや熊、猪に出会った時には、武器になりそうである。枯れた枝をはたき落とすのに使えそうである。

山の材料
 イギリスの家具職人が森の中で、生活している写真を見たことがある。萌芽林から材料を採取して、蚊まで煮て、曲げ物してイスの材料にしているようである。日本では炭焼きは山中に生活して行われた。山地に窯の跡、踏み分け道を見出すことがある。山の中の集落で、マツのこぶを集めて、達磨の彫刻を多数作っている家を訪問したことがある。まるで、木のこぶが貴重品であるかのように、集められていた。見る人の使い方で、山林には無数の材料を見出すことが出来る。