景観と原地形

はじめに
 景観の骨格は、植生であり、植生は地形によって条件づけられる。景観を復元しようとする時、原植生が問題となり、原植生に原地形が問題となる。景観を知覚して風景と意識することは近代的な個人意識によるものとすれば、個人の意識化にある風景を原風景と呼んで、人間や人類の根源に遡ろうとすると、奥野の原風景論のように縄文時代すなわち人間が自然の一部であった原始時代に到達することになるのだろう。原風景は、現代風景の片隅に見出される原始時代の残骸物となり、奥野にとって、それは原っぱなのであろう。都市の中の原っぱは、生存に関わり、確かな大地を感じさせるものとしての空間であるのだろうか。その大地を意識させるものとして、鈴木博之は「地霊」と呼んだ。この地霊をヒントとして田中正大は公園に地霊を見出した。地霊は景観を構成する原地形に対応している。
 鈴木博之:東京の「地霊」,1990   田中正大:東京の公園と原地形,2005
 日本の地霊は、古代の神話に現れ、そして、神道として、現代も建前のお祓いのなかにも見出される。この神道を体現して多くの神社が存在しているのだから、多くの自然神、地霊に満ち溢れている。鈴木の「地霊」はゲニウス・ロキを訳すものとして「土地の精霊」とするものということであり、18世紀のピクチュアレスクの観念が重要な役割を果たしているとのことである。