地域計画の成立条件

はじめに
 地域計画という言葉はあるが、実態は定かではないというのが、聞きたいところである。ダムや道路の計画があり、環境評価の問題から、評価の検討委員会が作られるが、既に建設計画が作られた後の話である。そうしたダムや道路が何故必要なのかは、別の委員会で検討されている。道路建設の場合は都市計画審議会の俎上に上げられる。こうした審議会も国、都道府県、市町村の行政組織の区分で、検討される。行政組織は国を中心のとする機構に統合されているが、個人サイドの自治組織としては、市町村住民、県民、国民の立場で、代表となる長や議員に選挙の一票を投じて、意思の反映を期待する。しかし、市町村長の意向は、県知事に容認される立場であり、県知事の意向は、首相の意向に左右されることになる。明治における近代国家の建設は、中央集権体制をとらせることになり、自治はその補完機構として作られたといえるのではないだろうか。戦後における民主化は、自治体の権限を強化したが、都市と地方、工業と農業の地域や産業格差の拡大は、その調整を、国に委ねることになり、中央集権体制は新たに再建されることになったのではないだろうか。
 地域計画は、祖田修氏の定義では、自治体の連合組織による地域問題解決の発展計画と考えられ、ドイツにおけるルール炭田地域の組織と計画がその端緒であり、ベルリンの広域都市計画、大ロンドン計画などがそれに続いた地域計画と考えらている。元来、資本主義の自由経済に中で、地域計画自体が成立しにくい問題である。これに対して、社会主義の国家体制は、計画経済が基本となり、地域計画、都市計画が進展した。ロシアがソ連となり、ペテルスブルグがレニングラードと名前を変えて行われたコンビナートの地域計画は著名である。
 しかし、戦後、日本でも進められた海岸地帯のコンビナート建設は、巨大企業と自治体の産業開発のもとで進行し、地域開発ではあっても。地域計画とは言いがたいものであった。1960年代の新産業都市建設の地域開発政策は、高度経済成長政策と連動して進められ、国土総合開発計画の一環として進められた。公共投資による経済拡大は、ケインズの経済理論を基礎に進められたもので、その端緒がアメリカのルーズベルト大統領の不況脱出のためのニューディール政策でされ、その公共事業がT.V.A.であり、戦後の日本の資源開発のモデルとされた。こうした公共事業と公共投資は、現在の巨額な国債発行残高の要因となっていった。一方で、中央集権的な地域開発と地方自治体の補助金依存体質の要因になったといえるだろう。
 高度成長はオイル・ショックで破綻をきたし、低成長時代へと移行すると、公共投資の効率的な配分が必要とされ、生活向上のための公共施設の整備にも、計画性が重視されるようになった。新全総の時代に広域生活圏の構想が生まれ、三全総の時代に、定住圏構想となり、地域計画の構造の転換が図られていった。自治体の自主的な計画、住民参加など中央集権的体制が改革された。しかし、四全総の時代における民間活力の発揮の政策は、バブル経済を将来し、そして、破綻した。
 自治体の活力低迷と赤字増大は、自治体の合併、広域化の要請となり、地方都市を拠点として合併した広域都市を出現させた。広域市町村圏と広域都市とは大きく重なる点で、混乱が生じているが、地域計画の母体が姿を現してきている。広域都市が生活圏となり、そこでの都市計画は地域計画への広がりを持つ計画へと転換する必要が生じているといえる。一応、松本市を念頭において、広域都市の地域計画の構造を想定してみよう。

地域計画の空間構成
 都市計画は、市街地の整備を主対象とするものといえようが、農村部や森林地域に接し、都市拡大とともに、農村部や森林地域の市街地への編入も時代的変化として行われてきた。広域都市にとっては、農村部と森林地域の比重が拡大し、市街地あるいは居住地は、森林地域、農村部の一部へと転換することになった。森林地帯を水土の保全と広大な空間となる自然環境に位置づけ、市街地を居住、生活空間とすれば、農村部は、自然環境を利用連結し、また、市街地を囲み、食料の供給と空間の広がりと二次的な自然環境を提供して、市街地、居住環境に連結するという関係になる。すなわち、空間構成は居住環境ー居住・自然の結合環境ー自然環境となる。この連結した3つの空間に、生じた諸問題の解決が、地域計画の課題となる。
 しかし、生活単位として、利便性から、一定の距離圏が考えられる。地域計画は生活単位の重層的な構成における居住生活の向上が課題となる。各生活単位は区会として住民自治があり、地区によって空間構成の偏りがあり、それが特徴となり、地区による地域環境の分担関係が構成される。すなわち、市街地の地区、農村部の地区、山間地の地区などである。市街地の拡大、農村部での市街化、山間地の衰退は相互に関連する問題として取り組むことによって、地域計画を成立させる地域を構成するだろう。今後の経済、人口の動向が縮小の方向にあるとすれば、生活基盤となる自然資源は、山間地に山林資源の集積があり、農村部には土地がある。これに対して、市街地部には建築や施設の集積があるだけである。資源の有利さから、生活に重要な価値をもたらす地域は、現在とは逆に、山間地、農村部、市街地となる可能性がある。

地域計画の主体と組織
 地域計画の主体は、地域住民ということは簡単である。行政における住民参加も一部では実現している。自治体は選挙によって首長を選んでいる。民主主義の進展とも見えるが、果たしてそうであろうか。住民参加が一部であり、選ばれた首長が民意を汲む力量を発揮するかも、問題がある。一方で、自由経済による無統制な経済の発展と停滞の変動や、開発や放置の進行が生じている。これに、対処する資金に枯渇している。首長は地域計画になすすべはあまりなく、問題を抱えたまま任期を満了していくかもしれない。改革への情熱をもった首長は最初は期待されるが、強引な改革は大きなひずみをもたらすことが多い。首長は住民代表として民意を汲み取り、また、役場職員の積極的な取り組みを喚起し、リーダシップを発揮することが大切だろう。