森林に適合した庭園

はじめに
 国営公園の中に、庭園を造る話があった。東京の昭和記念公園には庭園が作られ、利用者の人気も高いということである。万博記念公園にも日本庭園がある。古くは明治時代の京都勧業博覧会に平安神宮の小川治兵衛による庭園がある。都市の大公園に庭園は、自然に換わって魅力ある場所といえるのだろう。しかし、日本庭園は自然を模倣、抽象化していると言われる。本物の自然の中で、庭園は対抗して存在感を持ちうるのであろうか。あるいは、自然を改良して庭園を自然の中の一部として融和したものにできるであろうか。
 自然環境の中で、人々は多様な事物に目を奪われて、共通して注視するものが無いかもしれない。同じ場所で、人々はあちこちに目をむけてしまう。それでも、遠景の山の頂きや巨大な岩石や巨木は注目が集まるかもしれない。庭園は視線を制限し、視線を集める事物を配置して、視線を集中させ、散漫な自然の視線とは相違している。こうした、集中した視線をドラマ的に凝縮させたところに庭園の特質があるのだろう。自然環境は自由で広大な空間の中で、注意する事物は散在している。

自然に適合した庭園
 夢窓疎石の庭は山腹を背景としているようである。私は、苔寺天龍寺、永保寺しか見ていないが、山の斜面から岩が突き出ていたり、滝があったりする。山腹に庭は融和し、山と庭は滝や岩でつながり、草木が山と庭を結合させているようである。斜面に面した農家の庭も山と庭の関係は、夢窓疎石の庭と似てくるようである。