素性の良い木と美林

はじめに
 間伐の選木に次代に育つ質の良い木を残すことが眼目の一つである。その質の良い木を「素性が良い」と表現される。どんな木なのかといえば、木材として良質な材がより多く取れるということである。量的な点からは、樹高が高く、幹が太いことであるが、幹が通直であることが、より長径の材がえられることになり、太い下枝が無く、無節の材が取れるということである。逆に素性の悪い木は、太い枝に分かれ、幹が曲がり、材として取れる部分が少ない木、被圧木で樹高が低く、幹の細い木などである。
 放置林では、優勢木の中でも、素性の悪い木は多く、素性の良い木は少ない。人工林で適切な時期に間伐が続行された森林では、素性の良い木が多いが、間伐ごとに、素性の悪い木から除去するためと、均質な間伐で樹冠が広がらず、太枝の木が少ないためではないかと考える。間伐の遅れは、優勢木が素性が良いとは限らない点で、致命的であるように思われる。

美林とは?
 手入れの良い人工林は、素性の良い木が高密度で維持され、間伐が継続して行われるためであろうが、30年生で手入れが行き届いて整然していたカラマツ人工林が放置された結果、20年後に林分全体が衰退してしまった結果を見たことがある。素性の良い木を残すとしても、その成長が確保される環境が必要であることがわかる。それには、林齢あるいは樹高に応じた樹冠の広がりが必要である。すなわち、間伐の継続が必要である。それが、なされずに放置されたことが、森林荒廃の結果を招いたのであろう。間伐を必要しないように、予め、疎な密度で植林すれば、樹冠が広がり、素性の良い木とはいえなくなる。ある程度、密で育て、素性の良い木の形態が生じたところで、思い切った間伐をして、以後は自然に成育を待つことがよさそうである。
 美林は林業の観点からは素性の良い木で構成された高齢林であろう。また、その高齢林を形成する森林施業によるものであるだろう。日本の美林としては、原生林、ヒノキ、スギ、ヒバの天然林、スギ、マツなどの人工林、里山、自然環境豊かな森林、機能的な役割を果たす森林、信仰によって保存されてきた森林が上げられている。人工林は林業によるものであり、原生林で無い限り、天然林、自然環境豊かな森林、信仰によって保存された森林も木材利用にる人為が多少とも加わった森林といえる。その人為の加わる度合いに応じて、人工林の整然とした美林に近づくのではないだろうか。そして、素性の良い木が多くなるのであろう。これとは逆に、原生林から天然林と自然のままに放置された森林ほど、整然とした森林ではなく、渾然とした森林となるのであろう。
 美林を条件づける要因は、整然とした美と渾然とした美の対比、機能性と自由さの目的の対比が考えられ、森林の機能発揮を目的とした整然さと目的の自由さに応じた混沌さが、異なる美林として対極にあるといえるのかもしれない。里山はそれらの中間にある生活の多機能と自由さに結合した親しみ深い森林ということであろう。素性の良い木は、木材生産の機能を発揮する整然とした森林を構成する林木といえるのだろう。
井原俊一著:日本の美林、岩波新書1997