風景と背景

はじめに
 風景は絵画的構成で意識される知覚であり、環境の中で行動して注目される事物を環境全体の一部として認識しようとする時に生じると考えられ、その点で環境の眺めと言ってよいと考える。環境の眺めを絵画的に構成するなら、眺めの中心となる対象物と環境の全体像としての背景、眺めを縁取る前景によって、ある主題を構成すると言ってよいだろう。その主題が見る人の心情によって生まれ、また、主題によって心情に訴えるものとなるのであろう。風景がどんな主題を持つのか、その主題はどのような心情に結びついているのか、によって様々な風景が知覚される。
 風景にとって、主題の中心となるのは注目される事物であるだろうが、その事物が心情とともにあるのは、背景によるのではないだろうか。画面における図と地は事物と背景との関係を光と影で端的に示されることになる。しかし、図の形が変化しても、地は変化しない。地は図に対して、超然としている。これは普段の注目する事物への目の動きと合致する。事物は周りの環境全体の中から注目によって抽出されるという関係にあるからである。事物は突出し、背景は後退する。事物に向かう注目は前景をかき分け突入する。相対的に注目される事物と前景は視線の動的変化に対応し、背景は視野の静的な全体を知覚するものなのであろう。

空間による背景
 空間は広がりの範囲を示すものであるとすると、人間を中心に狭い範囲と広い範囲を区別するであろう。その空間の果てを示すものが、背景として知覚されるのであろう。室内であれば、壁が背景となる。戸外の庭は塀や生垣が背景である。さらに、広い眺望の場所では、空間は無限であるが、空はどこまでを見ているのだろうか。昼の青空、曇り空は地上の全ての事物の背景となる。
 ところが、夜空は宇宙の広がりを示す遥かな空間であるが、散りばめられた星によって背景ではなくなり、夜の主役となる。

背景となる自然景観
 景観としての自然環境は地形が骨格を形成している。その地形による立地条件によって植生の変化が地表面の景観を構成する。植生の状態を人為的作用、広く土地利用が植生表面を改変して広がる。その土地利用の中心部は人々の居住地が形成される。居住地を中心として、人々の活動のための人工施設が配置され、人工空間を形成する。人工空間は、時代とともに改変しながら、歴史的な蓄積によって文化財が形成される。中心地(都市)から展開する人々の活動領域は、地域を単位として展開する。
 人々の活動空間からの地域の外延は、自然景観の残存か、障壁によって構成される。そこで、展望される地域景観は、日常的に人工空間を前景として、自然景観が背景となる。自然環境から、遠景となった居住の中心部からの活動の展開を見る場合にも。その活動の外延は自然景観となり、自然景観が人工空間の背景となる。

景観の評価
 人工を超えている点で、自然景観は最高の評価が与えられるとすれば、人工は自然景観の破壊である点で、低い評価が与えられる。実のところ、自然景観を人為的に評価する自体が出来ないことである。月は美しいが、太陽は醜いなどと人は考えないだろう。自然環境が人為的環境を超えているのと同様に自然景観は評価を超えた美ということができる。
 自然景観が日常的に人工空間を前景とした背景を構成しているとすれば、景観の評価は人工空間によって決まることになる。自然景観の背景に、前景の人工空間はどのように関係づけられるかが、評価を決定することになる。人工空間が自然に即応した関係を持つものであれば、景観の評価は高まるものとなり、自然景観を人工空間が損なうものであれば、景観の評価はひくいものであるだろう。
 評価の高い景観が印象付けられ、日常の人工景観は、評価の低い景観に改善が求められるだけで、景観とは意識されないのかもしれない。青空が夕空に変わり、市街のビルが黒い陰のシルエットとなった時、突然に景観が意識されることがあるだろう。