日常の風景、風景の観光

はじめに
 日常生活している場所で、観光客を見るのは少し優越感を感じる。観光客は何を見ているのだろうか、よく見てもらいたいと思うのだが、観光客の目のつけどころは、生活者と相違するようである。そして、観光客はみやげ物店や観光客向けの飲食店に吸い寄せられるようである。
 以前、駒ヶ根高原では、観光客は素通りして、駒ケ岳ロープウェイによる登山を急いだ。ロープウェイの入口となるシラビ平も単なる待ち時間を費やす場所でしかなかった。ロープウェイの到着する千畳敷はカールとお花畑で見ごたえのある場所である。しかし、駅と一体となったホテルはお土産や飲食店のあるだけの特徴の無い建物である。下りのロープウェイは高山の垂直分布を観察する学習の場であるが、多くの人々はロープウェイのスリルを楽しむだけのようであった。一方、地元住民は高額なロープウェイに乗ることはめったにないのだろう。
 住民は駒ヶ岳山麓から台地を持つ天竜川の広大な河谷に住み、中央アルプスの峰々を下から眺めるのである。朝日に映え、夕日が沈んでいく山塊は、住民生活の背景であり、木曾谷を区切る障壁なのである。観光客はこうした風景が目にすることは少ないだろう。冬から春の雪の山頂を戴く峰、初夏の緑に被われていく山腹、夏の緑の中に突き出る厳しい岩峰、秋の紅葉は上から下に下りてきて、里の森林を彩っていく。観光客は見るのは、その一瞬でしかないのである。

生活の風景
 日常の風景は、特に風景を見ようとするのではない。生活行動の中で、ふと、風景を意識するのである。しかし、日常空間の中で、風景の良い場所があるが、その良さは時間や季節で相違する。夕日、朝日、季節の花や紅葉によって、その場所は相違するかもしれない。特別に風景を見にいくこともないとは言えない。

風景の観光
 風景の良い場所に季節を選んで出かけ、風景を観照することは、観光の行動と一致する。観光に日常の場を離れ、旅行して、他の地域の風景を観照するのである。日常の風景観照は行楽、あるいはハイキングに付随しているかもしれない。観光は旅行に付随し、旅行の目的となるといえるだろう。
 観光は、他の国や地域に旅行し、その風景を観照して、広い世界を学ぶことであるという。Wikipedia「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」