被災と救援における民主主義

はじめに
 未曾有の災害に、巨大な被害が生じて、被災者は勿論、そうでなかった人々の生活にも、激変が生じている。これらの社会的混乱から立ち直る必要がある。行政、企業などの組織的対処とともに、個人の努力が必要とされている。個人として、今は救援できる立場にある。義捐金と救援物資の募集に応じて、昨日、県の地方事務所に届けに行った。義捐金の箱にお金を入れ、品物を渡して帰ってきた。家に帰って、地区の町会から募金の知らせがあり、そこには金額と氏名を記入することになっている。この違いは何だろうか考え込んでしまった。
 今回の災害は、一時的な援助だけではすまないだろう。被災者は生活の再建のために移住も必要となるかもしれない。松本市では受け入れのために、市営住宅の空家が12戸あることを確認している。私も生活を切り詰めれば、心ばかりのお金を継続して捻出できるが、被災者が切り詰めた生活を行う場合にも最低限の生活費が必要となる。住宅だけでなく、経済的な生活基盤が必要となる。日常、個人の努力は限られ、社会的な対処が必要となる。
 だからこそ、救援募金に感じた体験が気になる。被災に世界各国の援助の申し出に、日本国民として本当に有難いと思う。他国の災害を見過ごすことも多かったことを、残念に思う。国からの申し出は、その国の国民の支持があることが、心強く、人類の共同が感じられる。我々は個人であるが、人類として共同している。そして、町会や市の救援への対応は、住民であり、市民であることの共感によって町会や市が組織として活動していることが実感できる。しかし、県の募金も、趣旨は県民の意向への対応であるが、勝手に、献金だからと、応募者を無名の存在として、集まった物資と献金を被災地に届けるだけになる。
 なぜ、わざわざ届けに来た人に、ご苦労様と言えないのか、別に記名する気は無かったが、募金箱にお賽銭のように放り込むのが、生活を切り詰めてでも出そうと思う気持ちに適うことなのであろうか。税金を納入に行った時とは大違いである。県民によって選ばれた知事と議員によって運営されている組織ではないのだろうか。確かに、長野県では栄村の震災の被害があり、その対処に県職員が当たっている。わずかな態度で、民主主義への疑念が生じることが残念である。
 人として、主権を持つ住民として、また、その時の立場を取る生活者として、自身の有り様を吟味しながら、救援の機会を大切にしたい。インドネシアの外相の言葉として、「日本は災害に会った時、大きな助けを与えてくれた。今回はどうか、私たちに救援の機会を与えて下さい」。この言葉から、国民の声を代表していると感じられた。

構成員の立場
 町会の募金活動で、組長であったので、組の各戸を募金に回った。募金額は負担が少なかったので、躊躇無く募金に応じる方が多かったが、2,3の方から異論があり、話し合った。それは、各戸に割り当てた募金方法は、個人の自由意志を尊重しないことになるのではないか、また、所属する組織の一員として募金を行ったので、あちこち重複することになるのではないか、というものだった。あちこちの団体が救援資材の募集と募金を行っており、その活動は貴重であるが、その末端での募集方法は、それぞれ相違しているのだろう。また、必要なところに救援物資が到達しないこともあるというニュースを見ると、大丈夫なのかと心配となる。
 民主主義は団体を構成する上で、尊重されるが、一旦出来た団体は、その組織の運営上に義務的な役割分担が生じて、自由意志はその秩序を乱す行為として非難されることがある。その場合、個人と構成員の立場は矛盾し、葛藤し、組織内の軋轢となる。団体の目的を容認する意志と、目的に応じた役割を担う義務感が統一される必要があるのだろう。町会の場合、自治体の一端なのか、行政体の一端なのか、迷うことがあるが、その一端は、個人主義が無責任につながることによって崩壊の危機にいたるだろう。