民主社会における生活空間の再建

はじめに
 近代社会における民主主義は、今回の災害で顕在化したように、工業文明と資本主義を土台として成立しているようである。しかし、憲法においては、個人の自由と権利、義務による民主主義の社会的土台の上に、経済活動が行われ、経済活動は企業の利益のための生産活動とともに、労働者の所得に寄与し、消費者の生活物資に寄与している。生産活動を工業文明が展開させている。
 工業文明に依存した経済活動は、工業のための生産システムの災害による破綻によって停滞し、災害によって困難となった人々の生活の救援を困難としている。交通網の復興は物流を回復させつつあり、救援活動の困難は克服されてくるだろうが、地域の経済活動の回復は、住民の方々の復興の努力にかかっているだろう。しかし、それ以前に、生活空間の再建が必要である。これからの長い道のりも待っている。
 これまでの大災害による壊滅的な被害からの復興も、関東大震災阪神大震災などに見出すことが出来る。戦災からの復興は、日本の多くの都市で見出されることだろう。復興には、災害を教訓とし、復旧以上の生活向上を目指す目標が重要となる。しかし、被災者においては、まず、仮設住宅に落ち着くことが第一歩となるのだろう。その後の生活空間の再建は、個々の人の苦闘の努力が想像されるが、生活回復と改善の希望がその支えとなるにちがいない。

田村・森の「小住宅の庭園設計」案
 田村剛・森歓之助「小住宅の庭園設計」が著されたのは昭和26年である。戦後の復興住宅が課題とされていたことが考えられる。田村は大正8年に「実用主義の庭園」を著しており、関東大震災後の復興期に当たる昭和5年の「現代庭園の設計」では、庭園に戸外室の概念を提唱している。日本庭園から西洋庭園への変化、伝統的生活から中産階級の近代的生活様式への変化の中で、日本人の一般的な生活様式が確立し、新たな住宅の必要に伴って庭園を不可欠の要素として考えていたことが、田村の住宅庭園の著作から考察されるといえる。戦災からの復興において、この居住環境の再建は切実な問題となってきたといえる。田村は上流階級の趣味的な庭園の模倣ではなく、一般住宅に不可欠な庭の姿を想定し、生活向上に役立とうとしたのであろう。
7m×14mの敷地の住宅、約33坪2棟連結
14m×14mの敷地の住宅、約66坪

庭園要素 戸外空間と菜園と樹林
 田村などの戦後の住宅庭園案には菜園が見られるが、それ以前の庭園案は洋風庭園と実用庭園を問題とし、そこに、戸外室の考えで、新たな庭園の提唱がある。洋風庭園は、住居と生活の洋式化によって、生活の実用に洋風の装飾的要素が結合したのであろう。それに、戦中戦後の食糧難が菜園の要素を加えたのであろう。敷地境界の生垣は戸外室の壁面であり、外部からの視線の遮り、防風、防塵効果などで環境を改善し、また、庭木とともに美的効果が期待されるものであった。庭木は敷地にゆとりがある場合には、柿、梅などの果樹類も導入され、食用の実用となる。また、その他のケヤキなどの樹木は、生垣とともに、落葉が菜園の肥料となり、枝や幹は燃料や資材にも使えるものとなり、農家の屋敷林にもつながる実用性が考えられているようである。
 戦後の子供時代には、イチジクの大木のある家が大変うらやましかった。その木に子供たちが登って遊んだ思い出がある。また、道は麦畑となり、庭は野菜が作られ、日陰の棚にはカボチャが植えられ、収穫が待たれていた。鶏が数羽飼われていて、卵を採り、餌を作るのは子供たちも手伝った。畑の肥料を得るために、馬車の後についてまわって、馬糞を拾っていたことを思い出す。田村の提唱する菜園のある庭は、全く、子供時代の経験に即応している。

敷地規模と地割
 菜園や樹林が実用効果を発揮するには、敷地規模が大きくなるのに応じて大きくなるが、農家の200坪、300坪の敷地規模を越えては、家庭菜園などの規模を越えるものだろう。最小では、ベランダ園芸で単体の植物の育成ができ、さらに、植物の生育季節の間、連続して、食用の野菜などが収穫できるには、33坪の敷地に数坪の菜園、66坪に10〜20坪の菜園が可能であることが田村などの案に示されている。戸外室の充実からは、さらに100坪の敷地が望ましいのであろう。田村の時代から自動車の普及で敷地入口の空間を広く取る必要もある。
 狭い敷地であればあるほど、地割計画が重要である。入口は接道部分に門がつけられ、庭園は日当たりから、なるべく、南に広く取ることになる。そこに菜園もつけられる。北に門があり、南に庭を取れば、東か、西の境界と住宅との間隔は狭くなり、そこが通路とされることになる。庭園と菜園の日照のために、南側の境界の生垣は低くする必要がある。
 
小近隣区画と敷地の配置
 住宅地に小近隣単位の区画を設定することが、敷地周辺の居住環境と共同社会を形成する上で望ましい。特に狭い敷地には、共同空間によって、通路や緑陰などの生活機能を補完する必要がある。昔の井戸端などはその一例だろう。現代では奥まった道路の自動車の回転などの空間が必要だろう。こうした共同の条件を考えて、小近隣単位の敷地配置と通路計画などを考える必要がある。近隣地区の計画方法として、ペティによる近隣住区論の提唱があり、日本のニュータウンの計画に導入されている。これまでの計画論を基礎に、近隣の敷地配置による空間計画が必要だろう。また、そこに、緑地の樹林、分区園などを設定し、住民の実用に供することも考えなくてはならないだろう。
 兵舎のように並ぶ住宅、周囲の農村環境と隔絶した郊外住宅地は、非人間的な環境であるのだろう。