雑木林の再生

はじめに
 武蔵野の雑木林は国木田独歩によって世に親しまれるものとなった。雑木林は農家の薪炭生産のために作られたもので、明治以降の東京近郊の農林業の展開の中で生み出されてきたものであることは地理学の課題にもなった。都市の発展は、当時の暖房に膨大な木炭を必要としたことであろう。戦前から戦後のの暖房は、もっぱら火鉢であったことを記憶している。東北地方には木炭生産地帯が出現したといわれるが、長野県のカラマツ林に炭焼きの後を見出すことが出来る。かくして、雑木林は日本各地に見出されるようにったのであろう。戦後、木炭生産は林業の中に大きな比重を占めていたが、高度経済成長期の石油エネルギー転換によって、急速に木炭産業が衰退し、無用となった山林は、拡大造林の中で、スギ、ヒノキなどの植林地へと転換したものであろう。放置された草刈場の禿山に自然回復とともにアカマツ林や雑木林が復元し、やがて、アカマツ林が衰退し広葉樹の天然林が増大していくと、人工林と天然林は対比的な風景として目にされるようになった。
 人工林は放置が問題とされる一方で、天然林は自然の回復した森林として生産的利用がなく、手入れされないことは問題にはされていない。逆に、ホダ木やマキの需要が増大してくると、役立たない人工林の針葉樹に対して、天然林の不足が嘆かれることがあった。といって、広葉樹の植林は微々たるものであり、天然林から収穫がなされても、その維持のための手入れは行われるかどうか、わからない状態ではないだろうか。皆伐による収穫によって、以前、薪炭林であった天然林が、薪炭林となることが困難な状態は、武蔵野風景の再生に見出された。しかし、天然林を利用されない、自然保護のための森林とすることでよいのであろうか。放置時期が同じであれば、広大な範囲で天然林の過密林分が生じることも心配されなくてはならない。

雑木林の森林施業
 薪炭林は萌芽更新に成立し、広葉樹の萌芽更新による施業は低林作業と呼ばれる。これに対して、木材生産のための施業は高林作業であり、低林作業と高林作業を併用したものが中林作業と呼ばれる。これらはドイツ林学から導入された言葉であるので、ドイツでも低林作業、薪炭林が、施業として大きな比重を持っていたことが考えられる。
 日本で里山持続の中で薪炭林が問題とされるように、ドイツでも薪炭林を利用して成立する農山村や共有林などが、低林成立の背景にあるのであろう。南ドイツの森でたまたまブナ林の施業を見たことがあるが、密集して植えられたブナの若い林が間伐され、林内にマキとして積み上げられているのを見たことがある。若いブナ林の中に高木のブナが散在して、異齢林となっており、中林作業なのか、保残林の更新途中のブナ林かであったと想像している。
 雑木林は薪炭施業による萌芽林によって成立したものといえようが、薪炭生産が衰退した状態で、その維持は薪炭施業と相違したものとならざるを得ないだろう。あるいは、薪炭生産復活の兆しの中で、以前の薪炭施業の復活も検討を要する点だろう。