友人の難問

はじめに
 友人は京都人であり、京都の庭師の家に生まれた職人の子孫である。京都の街とその歴史は人格なり、思考方法に独自のものを生み出しているように思うのは、友人によってである。友人は地上の森は一つにつながった生態系であることを確信して、論を生み出し、また、熱帯林にその実感を確認するために出かけて、その謎を解いていく作業を本として表している。盆地に密集して生活してきた京都人には、あるこうした有機的感覚が生まれるのであろうか?また、京都人の日本の中心にあるという意識が、有機感覚の中心を形成しているのだろうか。それにしても、古い歴史の街の住人が近代的意識を率先して持ち、確かに明治維新の出発は京都が舞台にもなったのだから、近代へと京都人が向かったのは当然だったのだろう。そして、友人は地球の環境を形成する物としての森林への広大な発想が生じたのであろう。
 今回の難問は今西錦司の再認識と継承というものであった。私はわずかしか今西錦司の本を読んだことはないが、生態学が起こり始めた時期に、今西錦司から学ぶことが多いと考えていた。四手井先生、吉良先生の仲間、兄貴分のような位置にあるのかなと感じていた。友人の不満は今西錦司を継承されていないことであった。私は今西錦司が進化論の再構築を目指したことをわずかながら知っているが、ダーウィンの進化論の深遠さを前にして、到底、今西錦司の新たな進化論を理解するには、はるかに道が遠いと考えている。
 地球上に見出されるたった111種の元素、その半分以上はなじみのない元素であり、限られた元素から日常の物質を構成する化合物が形成されている。そしてさらに限られた元素の化合物、有機物によって生命が生み出された。それらの生命が分化して、相互に関係する有機体を構成して、水中に広がり、さらに生命の皮膜を地表に広げている。この生命を発生させ、分化し、また、有機的な的な関係を生み出す、原動力は何か、それが進化論の課題であったのだろう。また、これからの進化の成否を左右する人間とは何かが問われる。