中央新幹線小委員会の権力

 中央新幹線小委員会の答申案へのパブリックコメントを提出した立場として、5月12日に小委員会の委員長の提出した答申書は、多く答申案への反対のパブリックコメントを一蹴し、民主主義国家とは考えられず、委員会委員の権力者意識を見出す。権力者であるならば、責任を負っての決断があるはずだが、強引な事業推進の権力を行使する責任を委員が負うことは不可能である。この無責任な権力が容認されることは不可思議である。
 上位の交通政策審議会の委員長は、原発事故による価値観の転換が生じているとの認識で答申に杞憂を示しているのに、小委員会の委員長が答申を了承させたと報道されている。杞憂があるならば、了承せずに議論があるべきではなかったのか。パブリックコメントは888件あり、東日本大震災を受けて、整備反対、計画中止、再検討が648件含まれている。南アルプス横断案へを諏訪伊那谷に再検討する意見が102件あり、ほとんどが答申案への反対意見であったと思われる。こうしたパブリックコメントを求めながら、小委員会の結論には何も反映せず、一蹴されたという。リニア中央新幹線が国家にとって有益だというのであるが、建設の莫大な負担、原発によるエネルギーの大量の消費、原発の危険性、残された自然環境の破壊は、国民の損益であり、リニア運行は高額の運賃となれば、利用者は国民の一部である。経営の成立も不確実である。これが国益といえるのだろうか?
 20回にも及ぶ委員会が開かれ、小委員会の委員にはそれぞれ意見があっただろう。委員長は委員会の意見を答申案としてまとめる努力をしただろう。しかし、以上のような答申がなされたことに、委員は責任をどのように取るのであろうか。責任のためにあくまで反論があるならば、途中で委員を辞任することが責任であるのではないか。パブリックコメントを一蹴する委員会のありようなど、全員が辞任してもよかったのではないか。情けない体制であり、負担や被害が及ぶ国民や住民が気の毒である。