日常生活の景観変化

はじめに
 日常生活の景観はその時々の時間の中で、一定の場所から知覚される空間であるが、その景観を成立させている全体的空間は変化しないことを個人のレベルでは前提としている。空間を変化させるのは、自然か人間かであり、人間を中心に構成された空間では、人間が変えようとしない限り、空間は変わらないからである。散歩で毎日歩く空間には、一部の建設工事と季節による変化以外は変化がない。変化しない空間にとって時間は日夜と季節の運行による繰り返される循環の周期でしかない。日常生活の景観は空間に変化がなく、時間が周期的であることを前提としている。そこに生じる変化は部分的でわずかであり、全体的に変化しないと意識している。
 しかし、過去を振り返ると自身の生活変化とともに現在の景観がいかにも大きく変化したように感じる。人工物の建設の集積とその老朽化、新たな再開発による地域景観の変化が目を見張るように劇的で昔のままに残る建物が奇跡的であるかのようである。しかし、普段の日常生活から見れば、その景観変化は緩慢で知覚することはほとんどない。主体と空間、時間は現在の一体の環境として知覚されるだけで、日常生活はその現在が連続して成立しているからである。
 景観変化を意識するには、過去を振り返り、過去からの生活過程を順序づけて、現在への到達点とともに、将来の変化を予測し、その変化に参加することである。そこには、生活過程を主体的に意識し、現在を将来に向けて変化させていく意識が作用している。主体を意識したの行動空間における景観変化は、主体の生活様式の変化、時間的過程と時代的空間変化として分析し、将来予測がなされるだろう。
日常生活の緩慢な景観変化は、主体的な創造者を意識した時、劇的に変化していく空間と旅人のような時間変化に転換するだろう。日常は一瞬の一期一会であり、不変と考えることが空想的なものであることを意識するようになるかもしれない。

現在の景観変化
 地域景観は誰によって担われ、どのように変化させられているのだろうか?何が求められるのだろうか。地域景観の劇的変化は、主体に希望を与えるものなのか、それとも不安なものなのか。景観変化への不安は、日常生活の安定が確保されないことによって生じ、希望は日常生活の改善として期待されるからであろう。個々人の生活者として存在の多くは、社会に対して受動的に適応している。