山村の変遷

はじめに
 福島原発の影響によって避難を余儀なくされている多くの人々にとって、避難先と新たな生活の開拓地が求められている。私は25年前に長野県地方自治研究センターの観光開発問題の調査に加わり、県内各地の自治体をめぐり歩いたことがある。5つの自治体の観光開発に関して報告を行なった。その一箇所のかっての美麻村に福島からの移住の可能性があるのか、今日、友人とともに出かけることにしている。
 25年前の美麻村は人口が半減しており、外部観光資本が進出を図る中で、自主的な観光振興を貫いてきた。その後のバブル崩壊には、被害を被らないで済んだであろうが、調査後、足を向ける機会がなかった。2006年に大町市と合併し、村は無くなったが、地域の住民活動は持続しているようである。こうした中で、移住者を迎え入れる可能性はあるのだろうか?が今回訪問の目的である。
 25年前の調査で一つの集落は廃村となっていた。村は道路の維持などの困難から、そこに新たな移住が行われることを問題視していた。また、村内の数百haが不在村地主となって、所在を掴むのさえ困難な状態でもあった。

美麻支所で
 美麻支所を訪ね、現在の様子をお聞きした。地区の人口は1975年の1740人から1000人余りに減少していた。しかし、新たな移住者は増大し、人口の4割を占めているということである。高齢化による人口減少はまだ続いているが、移住者によって若返りが、小中学校を存続させているようである。
 以前にあった遊学舎、山村留学、そばの栽培は現在も持続し、美麻地域づくり会議の作成した地図には村内各所で、名所、菜の花栽培、市民農園、おやきセンター、麻の資料館、重文建物の保存、道の駅温泉など地域の振興が図られていることがわかります。外部資本の観光開発を排して、自主開発の方針が受け継がれていることを感じさせる。
 移住酒の受け入れも促進され、宅地整備も進められているとのことある。人口減少などを見ると危機的状態であるが、以前からの地域振興を継続させ、新たな振興策の実践によって、山紫水明の自然とともに、何か豊かさと活気を感じさせる地域に変貌していた。