地方都市の発展と立地

はじめに
 伊那谷の3都市の立地条件はそれぞれ異なり、それによって都市の盛衰が相違している。伊那谷の地形の特徴として天龍川による河岸段丘地形が挙げられる。伊那谷の3都市は飯田、駒ヶ根伊那市である。市街が河岸段丘の崖上台地に位置しているのが、飯田市であり、崖下の天竜川沖積地に位置するのが伊那市、段丘台地中央部に位置するのが駒ヶ根市である。

戦前の市街地形成
 飯田市が崖上台地に位置しているのは城下町であったからであろう、駒ヶ根市は宿場町であり、伊那谷の宿場町の多くが台地中央部に位置している。箕輪町飯島町松川町などがどうである。伊那も宿場町であったが、明治になって、近代都市として台地下部に移行して市街が発展した。宿場のあった台地の面積が限らていたからであろう。城下町、宿場町を中心に近代の市街が拡大した飯田市駒ヶ根市は市街が商業的な発展を遂げても、住宅地の拡大と平行していた。しかし、伊那市の市街は商業が優先した。
 伊那谷は要産業が盛んとなり、農村が豊かとなった。市街地は農村地域を後背地とする商業的中心、物資の集散地として発展を遂げたのであろう。鉄道が引かれ、駅が都市の表玄関として機能するようになった。駒ヶ根は旧市街と駅とは一体化したが、飯田は旧市街と駅とは離れ、市街は拡散して拡大した。伊那は新たな市街に駅が一体化したといえる。

戦後の市街地衰退
 伊那谷の養蚕業も戦後衰退し、それに代わって工業化が進展した。市街に近接した工場が建設され、農村部からも市街への人口移動が生じた。それは住宅地の建設を必要とした。駒ヶ根、飯田は市街に連結した住宅地が形成されたが、伊那は住宅地が市街から離れ、台地上や市街につながる谷間の農村部へと拡散していった。一方、工業と大都市の発展は地方や農村部から人口を大都市に集中させ、地方や農村を衰退へと導いた。
 高度経済期とともに、自動車が普及し、鉄道から自動車への交通手段の変化が生じた。