信州の草原と鹿

はじめに
 小山さんから「信州の草原」を頂いてから、大分、日が過ぎてしまった。「山と森の環境史」もいただいたのだが、まだ、読む余裕がなかった。今日、「信州の草原」の小山さんの担当した「長野県におけるニホンジカの盛衰」の項を読むことができた。

 信州の新石器時代の住民から狩猟に鹿は主要なものであり、縄文時代にも同様であったようである。考古学者の藤森栄一によれば、縄文時代の信州の人口密度は日本で最も高いレベルにあったということである。その原因をクリなどの生育する落葉広葉樹林の繁茂によるものと推定している。鹿などの生育にも適していたのであろう。諏訪神社の神事に鹿が祀られ、土着の狩猟民、モリヤ族の影響が示唆されている。
 古墳時代になって土着の氏族は大和朝廷の氏族に征服され、狩猟民から農耕民へと転換し、牛馬の飼育が広がった。牛馬を飼育する草原(牧)の出現は古墳時代以降であることは確かである。また、農業のための堆肥の採取場としての草原(草刈場)はもっと後からであろう。萱場と呼ばれる草地は、おそらく屋根の材料としての茅の採取場であったとすれば、縄文時代の竪穴式住居にも萱場が必要であったかもしれない。
 農地と草原の拡大は鹿の生育にどんな影響を生み出したのであろうか。小山氏の論は江戸時代から出発する。