近郊の里山

はじめに
 松本市街に近接して農村地域が広がり、北と東、南は山間地につながっている。先日、北の地域まで車で出かけた。山林を使っても良いと言う人を紹介してもらったからである。山林の所有者は北の地域が故郷で学歴を積んで、専門家として活躍し、現在は退職して郊外に住んで自由に暮らしているとのことであった。農村に住む多くの人々が、若くして村を離れ、そのまま、都会に住んだり、退職して村に戻ることもあるのだろう。
 戻ることのない家屋や農地、山林は放置され、廃屋となり、田畑は森林へと戻っていく。村を離れた人は、折々の機会に幼少の思い出となる故郷に思いを馳せ、訪れることもあるのだろう。
訪れた地域は山間の集落でところどころに空家があり、廃屋も目に留まった.放棄された田畑はススキが生え、クルミやクワが大きくなり、アケビなどのツルが絡みついていた。イノシシやシカの踏み跡や掘り返されたところも随所にあり、タヌキかキツネの住処となった堀穴も見られた。そんな農地も使ってもらっても良いとのことであった。
 山林の所有者は待ち合わせ場所に、仕事着で現れたが、温厚な紳士であった。。車で誘導してもらって、現地に着くと中振りの鎌を出してきて、所有の森林の区域を説明してくれた。尾根に山道があり、それが境界となる小流域の一帯が所有の範囲ということであった。山中に入っていくと、鎌を役だてて、藪を払って案内してくれた。

里山の育成
 山林の所有者は、自分の山を急峻で利用に不向きなもので、里山のイメージではないと遠慮して説明していたが、スギの植林地は間伐がなされ、流れの縁には数本のモミ、ケヤキなどの巨木の木立があり、とても気持ち良い場所であった。隣接する山林は3人の共有林で、若いシラカバなどの広葉樹林でそこも適度に間伐がなされていた。集落の住人の中に、森林伐採の専門家がいて、育林補助金を使って無料で間伐をしてもらえたということである。境界の山道を登っていくと、アカマツ林となり、下層にはコナラの生育が見られる森林となった。このアカマツ林も間伐がなされ、コナラなどは下刈されていた。

 集落には冬場、炭焼きを行う人もいて、常備された炭焼き窯も残っているとのことであった。コナラ林などは炭焼きに利用されるのであろう。また、織り物と染物を行う人もいて、放棄された田畑には染料となる樹木を植栽したとのことで、木の葉を活用しているとのことである。山菜、キノコなどの採取は多くの住民が率先して行なってると思われる。アカマツ林となっているば山頂部は以前は潅木がまばらに生える草原であり、馬を飼っていて、その秣場となっていたそうである。
 放置されている思っていた里山は、残った住民によって多様に利用され、必要なだけの森林育成も行われているようであった。
 私たち(NPO)の活動も、クルミの実を拾い、アブラチャンの葉を集めて精油を取るなどの、利用から、山道の手入れ、森林下層の広葉樹の育成などを行うことで、里山の育成に協働できるかもしれないと考えた。集落住民の多彩な技術者との交流も魅力がある。山林所有者は山奥に入れない分を、放置した畑地にアカマツやコナラを育てて森を作って換わりにしようとしている。私たちも山林を利用する以上に森づくりに共力したいと考えた。