景観とイメージ

はじめに
 イメージは心に描かれる視覚像であり、現実の知覚によってその相違が是正されて真実の知覚が確信される。現実に知覚されない限りは、イメージであり、それは幻想かもしれないという懐疑の中に置かれている。現実に知覚している対象でも、一瞬の知覚は一面でしかないという点で、全体の真実は確信されないかもしれない。そうすれば、様々な機会の知覚の経験を総合したところに、全体の判断が生じるまで、真実の確信を待たれないことになる。これに変わる方法が科学的知識に依拠して推論することである。仮説として描かれたイメージは現実の知覚を分析し、確実な科学的知識に参照して、より真実なイメージに是正するものである。しかし、あいまいなイメージよりも、長い経験のもとでの直観が真実のイメージに近づけるのかもしれない。
 風景画における外界の真実の描写は、画家の観察、科学的な知識がインスピレーションによって統合され創造されるものであろう。そのインスピレーションには真実を超えた芸術家の理想のイメージと一体のものであるだろう。まして、肖像画であるなら、なおさら人物の中に画家の理想像があるだろう。一瞬の風景や肖像の絵画には、画家が見通した理想に向かって統合されたイメージが創造されているのだろう。
 風景画にとって景観は対象に過ぎないが、景観が地域住民の生活空間やその生活空間を取り囲む外界や生活空間の基礎となっている自然環境によって作り出されたものであることによって、画家の理想による総合が実現するのではないだろうか。あるいは、風景画と言わず、人々の知覚する風景の中に、理想の風景がイメージとして重なっているのではないだろうか。

戸外生活空間とイメージ
 生活の外部空間をデザインする造園家にとって、イメージの重要性に注目したのはケヴィン・リンチであるが、そのイメージ・マップの方法は環境心理学の領域で注目されるようになった。造園家は人々の環境イメージに現状と理想を見出すことによって、環境改変のための方向性を見出すことが必要なのであろう。風景式庭園の造園家にとって、風景創造の目標は風景画家による理想的な風景であったが、現代は住民自身の生活空間改善の理想なのであろう。理想の風景イメージはその結果として生じるものであり、景観として現実化されることになるのだろう。

文献
 リンチ:都市のイメージ
 W.H.イッテルソン他:環境心理の応用