新時代の到来

はじめに
 日本のみならず、世界各地に危機的状況を見出すことができる。アフリカ、アラブ、EUアメリカにおいて。これらの危機を乗り越えて新時代の到来は可能なのであろうか。既存の秩序が行き詰まり、危機はその行き詰まりから、生じているのに、その危機を乗り越えることも、既存の秩序が対処しており、秩序の復旧は危機を増大させることになっている。
 日本の原発事故による被害はあまりにも大きな危機を招いていて、復旧の将来像はなかなか見えてきていない。将来像が何か、何を目指して復旧を進めるのか、指導者や、計画家は現れず、空想豊かな予言者も現れない。何故かと言えば、危機を招いた秩序に、新たな秩序を見出すことはできないからではないだろうか。未だわからない新たな秩序が生じることによって新時代が生まれるにちがいない。
 現在の危機は、経済的な問題であり、その結果、社会的危機が生じているといえる。現在の秩序は経済優先の社会であり、国際経済に連動する危機が世界各国の社会的基盤を揺るがせている。日本の危機は大災害と原発事故によって生じたが、社会的危機は経済的危機にいつの間にか転換しているのではないだろうか。それは、これまでの社会構造を温存させながら、復旧を急いでいるからなのだろう。
 戦後、占領下での復旧は、社会変革のもとでの経済回復であったが、経済発展とともに、古い社会体制がよみがえった。社会変革に対する国民意識は希薄で、民主主義は個人的な自由主義へと転換し、企業の活動は一層強化され、経済主義が歯止めがきかなほどに拡大した。農村の共同体社会も後退し、都市の民主主義も個人の自由が優先し、企業の内外は熾烈な競争社会となった。経済の発展が豊かな社会の将来像を夢想させた。



民主主義と共同社会
経済と環境の地域単位(企業と自治体・生産と消費)