南アルプスと山間地の住民生活

はじめに
 山岳地域は人々の生活できる場所を見出すことは難しく、豊富な資源を利用することも難しい。山間農村の居住地域は、利用してきた山地があり、奥に厳しい山岳地域とは隔てられている。山村地域の住民と山岳地域との交流はわずかであり、それ故に山岳地域は原生林として維持されてきたといえる。
 その山岳地域が開発され始めたのは、奥地林開発であった。南アルプスの場合、豊富な森林資源が明治以前からも、収穫されていたが、明治になってその開発は大規模となり、河川を利用する流送とともに、森林鉄道など敷設も見られるようになった。さらに、開発を拡大したのが、戦後の電源開発であり、電源開発のために作られた道路が森林資源開発にも利用され、奥地林の開発も拡大した。長年の森林資源開発は、原生林の区域を縮小し、散在させている。
 3000m以上の標高の山頂が10座に及ぶ南アルプスは急峻な山腹とともに、開発の進行に歯止めをかけるものではあったが、開発技術の進歩と大規模な投資による原生林の破壊を留めることは難しかった。南アルプスの長野県側は、国有林が広い面積を占めていたが、戦後の経済的利益を中心においた国有林経営が、森林の回復以上に広大な皆伐を進めてしまったと思われる。多くの林業従事者も資源の枯渇とともに、地域から移住し、地元の雇用も喪失してしまった。かって賑わった集落が廃村となり、小学校の分校も跡形もみらなくなった。

南アルプス天竜川支流渓谷の土地利用区分
 南アルプスの山村の土地利用は計画的に行われたものではない。居住条件の良い山麓や平野部から人々が長い歴史の内に流入し、利用できる土地を探し、開拓の成功が定住をもたらした。内外の社会の変動によって、流入と流出が繰り返され、それらの集積によって現在の山村住民の土地利用と生活が成立している。
 しかし、自然の厳しい条件によって、土地利用は制限され、また、生活様式も制限を受けるものであり、それによって、山村住民の特色ある生活区域と生活様式を見出すことができる。
 渓谷の作り出した台地や河川沿いの平地は、人々が居住する区域となり、流域をさかのぼって生活区域が広がっている。その周辺に、生活に利用された山林の区域がある。さらに、その奥に原生林の区域があった。その原生林の区域は、封建時代には領主が占有し、木材などの資源を保護して利用するために農民の立ち入りを制限していた。僅かな割合の居住地域、その周辺の共有林、奥地の利用の制限され、厳しい自然条件のために利用できない森林の3区域に区分される。
 山村の居住地域と南アルプスの山岳地域とは、直接のつながりが感じられないのは、以上の土地利用区分から中間の山林地域なしには、当然のことなのである。しかし、奥地林の開発と山林地域の利用の衰退から、この隔絶ははるかに大きなものとなっているといえる。また、近代の山村住民の生活変化は、山村外部からの影響によって生じ、住民の目も村外に向かうことが多いのではないだろうか。

山村住民の生活様式
 山村住民の生活基盤である耕作地は限られ、その条件も水利、日照など厳しいものである。その条件を補う上で山林の利用は不可欠なものであった。山地に張り付いた耕作地と住居の配置は、山腹の急傾斜とともに、厳しい緊張関係を示している。そして、それは、災害が飢饉などの機会に如実なものとなるのである。すなわち、厳しい自然条件に制限され、そこに適合した生活条件を見出しているのである。畑作が主であり、山林の保存と利用が一体となって、居住環境の持続をもたらしている。
 近代の生活の変化は、都市部を中心に進展し、山村は取り残され、後進地域となって、遅ればせながら変化に即応していった。しかし、それは、山村独自の生活様式とは合致しないものとなった。自給的な農林業生産が、商品生産に変わり、消費的な生活様式は現金収入を求めるものとなった。農林業の衰退と兼業化から離村へと人口流出にもつながるものであった。