総合の眺めとしての風景

はじめに
 「風景は環境の総合した眺めである」とある哲学者が述べている。環境は様々な要素あるいは要因によって成立している。しかし、風景の知覚は、外界を一瞬の内に視野の内に映し出す。私はこの風景の意味を「風景概念の構造」として明らかにしようとした。視野は画家の描く風景画にとっては画面であり、そこで描かれる風景は風景要素が遠近の構成によって描かれている。風景画に関する論述は、ラスキンによって近代画家論として行われ、風景要素とその構成が画家によってどのようななされたかが明らかにされている。

環境改変における環境要素と景観保全
 道路やダムなどの環境改変における審議の場に景観の専門家として出ることが何度かあったが、それらの委員会では地形の改変に対する生物要素の持続が優先し、景観はその価値が明確ではないとしてあまり、重視されなかった。道路やダムが交通や防災などのために人間に必要であるとし、同じ人間が景観の維持が必要だと主張した対立することは、そもそも、土木構造物の必要性の論議の中に含まれなくてはならないのであるから、景観が軽視されていることは環境改変の委員会の当初に明確なものであった。
 W先生は志賀高原のオリンピック施設建設の委員会において、自然保護にとって施設の建設そのものを止めるべきだと主張して、最後までその意見を貫いた。岩菅山はW先生の主張通りに、開発がなされなかった。志賀高原のスキー施設は過剰な状態となって、その景観が人工的な要素によって自然を改変していることを私は調査報告書に示した。既存施設でオリンピックは開催することができたのである。当時若かったW先生の熱意には今も尊敬している。植物の専門家であるW先生は、個々の植物の問題ではなく、自然環境の要素として植物をとらえていたからこそ、自然保護のためには開発を阻止することの必要を主張したのであろう。景観は環境を構成する要素を総合して知覚させる点で、全く、W先生の考えに賛同できる。
 環境アセスメントにとって自然環境はいくつかの自然要素の貴重さを問題とし、その貴重な要素の持続を環境改変後の影響が損なわないか、損なう場合にその影響をいかに軽減できるかが論議の焦点とされていた。景観は開発以前の自然状態を価値あるものとすれば、その改変は破壊以外の何ものでもない。その改変が景観維持、環境維持以上に必要なのか、がまず問題であるので、改変の必要性から確認されなくてはならない。その前提で議論が進み、改変の程度をできるだけ軽減することを模索する。
 多くの渓谷をダムによって破壊し、多くの生活環境を道路によって分断した建設事業は自然保護、景観保全の立場からは、否定されることである。しかし、すべてのダムや道路の建設を否定することは難しい。しかし、これ以上の建設が必要なのかが、現在の問題である。建設における公共投資の限界もある。論点は大きく変わろうとしており、自然保護、景観保全が優先する時代となることを期待している。

景観保全の優先
 南アルプス世界遺産登録推進の委員会に参加して、南アルプスの自然景観と共生空間の長野県側の概要を担当しているが、南アルプス全体の自然環境とそこでの住民の生活の特徴とは何かに思い悩んだ。様々な要素で南アルプスの特徴は示すことができる。しかし、それらを総合して見出される南アルプス地域の実感から見出される特徴とは何かである。様々な区域とその区域に顕著となる要素の特徴は、委員会で概要を分担している地形・地質、植物、動物を担当している専門家が示している。それらの要素の記述の最後尾に予定されていた自然景観と共生空間の章が、編集が最初の章に変更してある点で驚いた。人の感性として全体を把握し、それを構成する部分に注意することが自然である。自然の流れに沿って、概要の構成を変更したことに共感した。
 世界遺産登録は人類にとって価値ある環境としての認定である。南アルプスが国立公園であることは国民にとっての残すべき自然環境の認定である。こうした認定は漠然とした国民や人類以上に具体的な住民にとっての自覚の問題である。概要書は住民が南アルプスを価値ある環境と自覚する材料に役立つだろう。構成の変更は、編集者が概要発行の目的を明確にしてきたように感じられる。世界遺産登録を目指す以上、その景観は保全しなくてはならない。保全する価値があるからこそ世界遺産登録を目指しているのである。

人類の生存のための景観保全
 技術的進歩は人類全体に大きな影響を及ぼしている。生活の向上という効果と環境改変による人類滅亡の危機の両面である。自然科学は、物質、宇宙、生物の神秘を明らかにしているが、明らかにされた自然の法則性は技術に応用され、自然を操作する手段として、自然環境の改変に巨大な力を発揮している。その力の発揮は、資本主義の競争原理を脱皮しないまま、人類の叡智を無駄にしている。人類の叡智が生かされる人類共存の共同体の成立は困難を極めており、人々は今あるものを大切にして、巨大な力の専横から自衛していくことから始めなくてはならないのではないだうか。
 今あるものとは居住する地域の生物環境ではないかと考える。景観は生物要素によって住民と環境との結合を作り出している。この景観から風景要素を構成した風景が知覚され、環境の価値が認識されるのではないだろうか。