幾山河

はじめに
 池内紀「人と森の物語」を読んでいて、静岡県の千本松原の話の中に若山牧水がここに住みつき、千本松原の伐採反対運動に関わったことが記されている。若山牧水の代表作は「幾山河」であるそうだが、旅行く牧水が駿河湾を囲む千本松原が余程気に入ったのであろう。牧水は宮崎県出身であることは今調べて分かったのであるが、幾山河は私の父が終生口ずさんでいた歌と良く似ているところがある。
 幾山河の詩は
「越えさり行かば、寂しさの終てなむ国ぞ、今日も旅ゆく」とある。

父の口づさんでいた歌は

独り旅すりゃ つれないものよ 空ははるばる 傘一つ
明けりゃ野歩き 山川越えて 暮れりや旅籠の 置きごたつ
一夜泊まりの 囲炉裏火なれど くべりや燃えます 枯れほだか
明日は明日はと 幾山越えて いつが果てやら 限りやら
今日も吹かれて 明日亦何処え 後ろ向かるる 風の旅
山のあなたの 権現様よ 山は幾山 雲幾重

の六つの歌詞である。北九州出身の父、旧制中学の先生から教えてもらったそうである。
この歌詞の含意には牧水の幾山河に通じるところがあるように思う。

 我が家のことであるが、祖父は父親を幼少の内に無くし、行商人に連れられて海外にも出かけ、北九州で鉄道の機関庫の技師として勤めてやっと落ち着いた生活を送った。父は旧制専門学校で機械学を専攻して、会社員となった。四国から関西に移動したのが、私が小学校5年生になった時だった。故郷は遥かに遠くなり、落ち着くことない旅の人生だったといえる。

流浪の民
 資本主義社会は人間を地域共同体関係から脱却させ、自由を謳歌させた。植民地の拡大が海外へ人口を流出させるまでになった。自立し、自由となった個人は、社会の動向のままに、動かされ、自由と思ったものは、実に人々を押し流す巨大な経済の動向に左右されていることなのだ。無目的な旅の漂泊は、押し流される人々の状態を表現したものではなかったのだろうか。

散らばりゆく森林
 山河は旅のいく手のどこにでもあり、どこにも旅の宿があって、旅人を迎えてくれる。これは旅をロマンとする条件である。池内紀「人と森の物語」は、森がいかに人によって守られたかを記している。しかし、このように守られた森がいかに少ないことか。牧水を迎えた森は、守らなくては存続しえないものだった。守られず失われた森があまりに多いことか。故郷を取り囲んだ森が失われると、森に取り囲まれた故郷が衰退し、山河のロマンもまた消滅する。私は父の口づさんだ歌を歌うことはないだろう。題名もまた聞き忘れてしまった。