里山の衰退と再生

はじめに
 里山という概念自体が新しいものであるという論議があるが、里を集落と考えれば、里が成立してから後背地の山としての里山の実体は古代からのものであろう。原始時代の自然に適応した生活のなかでは、集団のテリトリーは存在しても、集団の拠点となる集落は森林の中にあったろう。森林が開墾され、農地の広がりの周囲にあった森林が集落住民から利用され里山の実体が成立したのだろう。田中氏の「生駒山地は日本で最も古い里山」という考えもこうした実体から言えることだろう。
 里山が社会問題として顕著となったのは、江戸時代の入り会い地の集落間の争議であったのではないだろうか。農業生産における地力維持、牛馬の飼育のための厩堆肥、燃料の確保のために里山の利用は不可欠であり、集落間の権利関係が深刻な問題となったからである。